実際は、「八月」だからといって「老人」が「増える」わけではない。「八月」は日本が戦争に負けた月、各地で空襲が、また広島と長崎に原爆が落とされた月でもある。「八月」はとりわけ、各地で戦没者慰霊祭、原爆慰霊祭などが行われるが、戦後75年たった今、主だった出席者である遺族も歳を重ね、終戦当時は子どもだった人も「老人」になった。「八月」は、戦後の年数を否応なく意識する月。それと同時に、戦争体験世代の「老い」を意識する月でもある。戦後すぐに生まれた人でさえ75歳。戦争を肌身で知っている世代は、確実に死に絶えつつある。「八月のたびに老人増えにけり」は、作者の、そして私たちの、哀しい実感なのだ。松下雅静には他に/憎まれているは鴉の歩きぶり/捨案山子棒になる日を怖れけり/白絣もう波風を立てている/秋がきてまだ七草のうろ覚え/マネキンに嫌がる水着着せにけり/蛇あなを出るには齢をとりすぎし/くそ暑いときに田舎の叔父が来る/など。