「みの虫」は蓑蛾の幼虫、または成虫になっても翅をもたず、蓑の中で一生を送る雌。「痴情」とあるので、おそらく後者だろう。「下弦の月」は「下り月」とも言い、十五夜の月が次第に欠けていく様を言う。漱石の『三四郎』に「可哀想だた惚れたってことよ」とあるように、「恋と哀れは種一つ」。見上げたら丁度「下弦の月」に「ぶらさがって」いるように見えた「みの虫」を、「痴情」=愛ゆえに理性を失った女と見立てたのだ。落ち目の人に恋心を抱く始まりは同情心や憐みだが、それはめったにない事である。「理性的」、言い換えれば計算高い人にとって、ほとんど恋の対象とはならない。しかし「一寸の虫」には、理性や計算とは無縁な故に、「痴情」に走る「五分の魂」がある、そう作者は言いたかったのだろう。前原東作には他に/月の稚児みなうそつきでありにけり/黄葉のひとひらは原罪のまま落とす/変な日の飢えをしずかに犬が掘る/どの古墳も草生え夕陽のように冷たい/死魚浮いて一月の空遠くある/煙草やめないぞ 噴火やむまで 雪に埋まるまで/など。