「のなかに」のダブルミーニング的な意味の変容が、この句の「目玉」。事実は「大風」の「目のなか」に入って、風が和らいだその隙に、雨戸でも飛ばないように「五寸釘」を打っているの図なのだが、「大風の目のなかに打つ」と書かれると、「大風の目」に、直に「五寸釘」を打ちこむような錯覚が生まれ、「大風」が「あいたたた」と、たまりかねて逃げ出す、そんな景さえ浮かんでくるから愉快だ。俳諧の「諧」は「諧謔」の「諧」で、そもそもが「滑稽」を意味する。俳句は、人生の大ごとでさえ笑い飛ばすぐらいの、逞しい精神に裏打ちされた文芸なのだ。室谷光子には他に/しゃぼん玉ひとつひとつに窓がある/昏れそうで昏れぬ菜の花明りかな/末枯れの川いっぽんが生きている/減反の余白で揺れし秋ざくら/花明り百のたましひ出てあそぶ/西方の火種となりぬ彼岸花/湯冷ましのような空あり敗戦忌/など。
コメント
コメント一覧 (2)
台風の目に五寸釘を打ち込むという歌ではなかったのですね。ゴウゴウガタガタという音に怯む自分を鼓舞していたのかと一見して思っていましました(笑)
五寸釘というと藁人形のイメージですが、瓦屋根の熨斗を留めるのに八寸釘とか実際長い釘って使われているようですね。
ーしゃぼん玉ひとつひとつに窓がある
シャボン玉に映る景色を窓っておしゃれですね。
ー減反の余白で揺れし秋ざくら
減反だったんですね、日ごろキレイだなぁとしか見ていなかったのでちょっと寂しいですね。
コスモスによる緑肥は荒れた水田を守り、経済面、管理面での負担を軽減し、観光資源にもなり得る。ということなんですって。
nonsyaran
がしました
五寸釘って単純計算でも15、6cm、八寸釘となると25cm以上。
近年の颱風の威力、例えば大阪や千葉などでは自転車置場や駐車場の車が吹っ飛んだり、電柱やゴルフ練習場がなぎ倒されたり、大型車が横転したり、船が湾岸道路を破壊したり、などなど、人命を守るには、もはや五寸釘でも間に合わないほど。
打てるものなら台風の目に直接釘を打ってやりたい、そんな気にもなりますよね。
コスモスを植えるのも、只美しいからだけではない!
私にとっても発見です!
nonsyaran
がしました