「戦争」を生き残るのではなく「戦後を」生き残る、とあることが、まず目を引く。「戦後」の時代特徴は、価値観が経済やモノ中心になったこと、学歴や社会的な地位で人が計られるようになったこと。要するに内実より外見重視に、価値観がシフトしたといえる。その「戦後」を「生き残る」ことができたのは、「草笛が下手」だったから、と掲句は言う。ということは、「生き残らなかった」人は、「草笛が上手な」人だったということになる。「草笛」が上手か、下手かは、何によって決まるか。答えはおのずと明らかだ。自然に親しむ機会が多いか、少ないか、それが決定要因である。今の子供たちは外で遊ばなくなったと言われる。その結果、紫外線不足からくる若年性の近眼が増え、スマホのゲームアプリは、子供たちから運動や睡眠や有意義な体験の機会を奪いつつある。テストの点さえよければ「草笛」なんか吹けなくても勝ち上がっていく=「生き残る」、そういう世の中の「勝組」の一人になってしまった自分。戦後74年、資本主義の弊害が見え始め、経済最優先が自然破壊へダイレクトに結びつくことが明らかになり、地球環境保全を最優先しなければ、人類に未来は無い、そこまで追い詰められてきた私たち。生き方の方向転換を否応なく求められる中、果たして「草笛が下手」なままで、これからもサバイバルしていけるのだろうか。本来の自然の感覚を取り戻さなければ、これからは危うい、そんな作者の自省も感じる。成瀬雄一には他に/八月六日骨の音するオルガン踏む/嘘ついて白靴の紐締め直し/煮凝りのどこ崩しても恐縮す/蟋蟀が持ち上げている夜の底/入口に段差あります十三夜/妻を攫った沖は近くて立葵/追伸のながながとあり終戦日/青空を球体にして芋の露/など。