「冬」は立冬(11月7、8日ごろ)から立春(2月4日ごろ)の前日まで。その「冬の川」を「死者」が「流れ」て行くのが作者の「原風景」だという。おそらくこれは終戦の前年に始まった、アメリカ軍による首都東京に対する空襲の記憶だろう。その皮切りが1944年11月24日、正に「冬」だからだ。その後終戦の1945年8月15日まで、東京23区だけでなく、郡部、島嶼部に至るまで、空襲は間断なく、執拗に続くことになる。その数、東京だけに限っても、実に90回。1944年11月~1945年2月の「冬」に限っても、24回ある。空襲に伴う火災を逃れるため、川に飛び込み、多くの人が溺死、文字通り「死者」が「冬の川」を「流れ」た。空襲による死者の総数は不明であるが、1995年の東京新聞の調査では、全国で55万9197人、東京で11万6959人と言われている。それまでの大国との戦争での勝利による過信、「神風が吹く」とばかり、明らかに劣勢にありながら、現実認識を故意に誤った軍部の誤導により、多くの生命が奪われた。「災いは忘れた頃にやってくる」と言われる。戦後74年、戦争経験者が死に絶えるのも時間の問題である。兵器も格段に進歩し、貿易摩擦など大国間の緊張が高まる中、もし第3次世界大戦が勃発したら、環境問題だけでも息絶え絶えの地球は、到底持ち堪えられないだろう。中 悦子には他に/うなさかへ香水一滴二滴かな/春遅々と先の詰まりし醤油差/潮騒のたまるうらなり南瓜かな/陽炎を溺れどの手を掴もうか/ジョーカーの捨て時逸す夜長かな/体内にくらき部屋あり女正月/蟻の列海割れる日を待ちており/冬眠に少し間のありスニーカー/など。