KUYOMI

2020年04月

「つり革」とあるので、通勤の電車の中で目撃したのだろう。慌てて着てきたのか、「オーバーコート」の裾に、しつけ糸の「×(ばつ)」が付いたままになっていたのだ。これを着ているのは、多分男性だろう。身なりに気を遣う女性は、普通2、3枚コートを持っており、そういうところは抜かりがないからだ。余程おしゃれな人でない限り、男性が持っている「オーバーコート」はせいぜい1、2枚、めったに買い替えたりしない。しつけ糸がついているということは、このコートは新調したばかり、たぶん今年入社した人なのかもしれない。家にいた時は母親任せで、裾のしつけ糸も母親が取ったものを、何も考えずに着ていたのだろう。就職と同時に一人暮らしをするようになり、何もかも自分でやらなければならなくなったが、コートの裾にまさかしつけ糸がついているなど、想像もできなかったに違いない。言いたい気持ちを抑えて、職場の親切な先輩女性が、いつか気付いて教えてくれればいいのに、と思ったかもしれない。平佐和子には他に/うはさ話尾鰭をつけて花筏/ゐのこづち野武士の貌の猫帰る/満月やブリキのバケツの底が抜け/薔薇夫人無邪気に首を切つてゐる/鰯雲地下の迷路をやつと出る/有頂天の噴水私を呼んでゐる/ハイブリッドカーすべるルート66の枯野/など。

「さくらさくら」と「さくら」を二つ重ねることで、「一人」が際立つ作りになっている。「さくら」は他の花と違い、「散る」が暗黙のセットになっている。「一人になつてしまひけり」には、長年連れ添った連れ合いとの死別が色濃く匂う。それ以外にも、かつて一緒に花見をした友人たちが、一人減り、二人減り、最後の一人もあの世に旅立って、とうとう長生きの自分一人が取り残されてしまった、あるいは花見のたびに集まっていた兄弟・親族が年々欠けていき、自分「一人」取り残された、そういう意味合いもあるのかもしれない。人間は生まれる時も「一人」なら、死ぬときも「一人」。その間様々な出会いやご縁に恵まれるとしても、詰まるところ「一人」に戻るのだと、改めて痛感させられたのだろう。全ての物事には裏と表、陽と陰の側面がある。「さくら」の季節は、華やかで浮き立つ気分だけを生むのではない。「さくら」の季節だからこそ否応なく感じる淋しさも、またあるのだ。平賀節代には他に/おかはりを言はぬ遺影へ茸飯/コスモスを風の中から剪りにけり/仏壇を大きく開けておく良夜/小鳥来る遺品の整理してをれば/柩打つ冷たき石を持たさる/闇よりも黒く山あり蛍飛ぶ/海側の半分暗し踊りの輪/白菊の花びら拾ふ喪の畳/など。

宇宙はエントロピー増大(秩序→無秩序)という法則を免れることはできない。時間を後戻りさせることもできない。時間経過とともに、新しいものは古くなり、輝いていたものは輝きを失い、形あるものは壊れ、命あるものは死に向かう。それを作者は「死ぬために生きているんだ」と表現した。ここで見逃してはならないのは、「死ぬために」という言葉。人は、まさに朝日が昇るように生まれ、太陽が中天に達するように生命を謳歌、その後徐々に高度を下げるように老いて、遂には没し、死んでゆく。しかし作者はその死を、残念な敗北、できれば回避したい局面とは捉えていない。なぜなら死に対する作者の思いは、季語「寒落暉」が代弁しているからだ。「寒落暉」は、冬の入り日のこと。冬は空気が乾燥しているので、夕日も他の季節に比べクッキリとして、格段に美しい。つまり死をイヤイヤではなく、積極的に受け入れた生は、「寒落暉」のように美しいということ。「メメント・モリ(死を想え)」ではないが、命あるものはいつか死ぬ。そのことをいつも意識した生は、自ずから真剣な生となり、その生き方は自ずから美しくなるということだ。新型コロナウイルスも、もしかしたら明日も今日のように生きられると高をくくっていた私たちに、死は私たちのすぐ隣にあることを思い出させ、これまでの生き方の軌道修正を迫る、そのために現れたのかも知れない。平川義光には他に/どっこい生きて蟲の挽歌を聞いている/村眠るなの花いろの灯を点し/大空へ臍の駈け出す奴凧/躓いて虚空で摑む虹の脚/秋の夜は地図から消えた村さがす/空っぽのバス来て梅雨が明けており/マスクして街の穴から出て来たり/など。

「卯の花」は、豆腐の搾り滓・オカラの代名詞になったように、その花色は白い。俳句は意外性を重んじるが、掲句はその白い「卯の花」を「黒い」と表現することで、読者に「えっ?」と思わせ、次いで「デッサン」で、その意表を突いた理由を種明かしする。「デッサン」は10H~10Bの鉛筆の濃淡を駆使して描くが、その際白い部分は、紙の白さを塗り残すことで表現される。この「卯の花」の「デッサン」も、そのようにして描かれたものだろう。「卯の花」だけが白く塗り残され、それ以外は黒く塗り潰された結果、全体的に「黒いデッサン」になったというわけだ。一方で、写真のネガのように「卯の花」だけを黒く塗り潰し、影絵のように描くという手法もある。「売りに来る」ほどだから、この画家は素人に毛の生えた画家ではない。もし彼が正真正銘の芸術家魂の持ち主であれば、常識に歯向かい、誰も描かない仕方で「卯の花」を表現すだろうことは、十分考えられるからだ。いずれにせよこの句の眼目は、俳人の臍曲りな魂と、芸術家の常識を嫌う魂の邂逅、それへの感応である。平川 苞には他に/大ぜいの兜子があるくかすみつつ/自画像をふせたるままに新樹光/陽炎に砂音だけのあゆみあり/さくらんぼプリンにのせてひとりかな/木がらしやわがためにある子守唄/チユーリツプ影絵のごとく風を呼ぶ/佐渡よりの桜見今こわれたり/など。

無季、しかも7・8・5の破調&字余り。余程役割から離れ、一個人に戻り、羽目を外したかったのだろう。その気持ちがそのまま句の姿になっている。「マニキュア」「妻でも母でもない」から、解放的で露出の多い夏のイメージが浮かぶ。「妻」や「母」なら、おそらく無難な透明か薄いピンクかベージュあたりだろう。だが、自分という一個人に戻った時、彼女は果たして何色を塗るのだろうか。白、黒、青、緑、紫、シックな血色、ラメ入り、、、夫や子供たちを送りだし自分一人になった時、彼女はおもむろにマニキュア壜を取り出し、母でも妻でもない、実はロックで過激な、本当の自分を取り戻すのだ。そして子供たちが帰ってくるころには、除光液でマニキュアを落とし、何食わぬ顔でお母さんの顔に戻る。彼女の本当の顔は、家族の誰も知らない。一番遠い身内、それが家族なのだ。平岡久美子には他に/かなしみを噛みしめていた奥歯を抜く/署名素通りとしよりもとんがっている/完璧主義が寝ころがっている/青空をひっかぶって職人達は仮眠中/心のほころびに大判湿布貼ってある/スマートフォン指で拡げる秋の街/など。

「確かに!」である。盆踊りの、特に手の動きはまさにそうだ。どんなに幸せそうな人にも、人には言えない「闇」がある。自分しか知らない「闇」だ。家庭内の事情に限らず、心の中では誰しも、時に人を憎んだり、恨んだり、嫉妬したり、不幸になればいい、失敗すればいい、死んでしまえばいい、いい気味などと、一度は思ったことがあるに違いない。自分の中にある「闇」の部分を自覚することは、他者への態度を和らげる。正義を振りかざし、声高に攻撃的になるのを防いでくれる。盆踊りのたびに、そのことを思い出させてくれそうな句である。平尾知子には他に/太陽へ連なってゆくさくらんぼ/寒の鱈ぶっきらぼうに干し上る/毛糸編む昭和の棒にひっかけて/結氷期沖より岩波文庫かな/ゆめの端踏まれておりし掛蒲団/青空をいっき飲みするソーダ水/ファックスに黒い蝶々がまぎれこむ/など。

「哲学」のギリシャ語フィロソフィアには、愛智という意味がある。物事の根本原理を探り、統一的に把握、理解しようという学問の分野のこと。生物などの科学の知見を土台に、世界や人生や命や倫理、人間の行動や本性、文化の特質、美学に至るまで、その範囲は広く、多岐に及ぶ。「りんどう」が「深い紺色」なのは当り前じゃないか、という感性からは「哲学」は生まれない。当り前と思わない、不思議だ、という感性からしか、「なぜ?」は生まれないからだ。花の色はほぼ無数にあるのに、なぜ「りんどう」はよりによって、この「深い紺」を選んだのだろう?そこには「りんどう」が生き残るうえで、不可欠且つ有利な進化上の理由、「選択」があったに違いない。生物は「生き残ること」「子孫に命を受け継ぐこと」が最大の命題だからだ。今この地球上に存在している生命は、動物も植物も、虫も、ウイルスも、みな過酷な過去の環境変動を生き抜いてきた強者たちである。「りんどう」もその一つ。伊達に「深い紺」色をしているのではないのだ。特に虫媒花など、他者の働きを借りて繁殖する場合は、その他者好みの色や匂いや蜜を用意していたり、花粉が付きやすいような形状になっていることが多い。虫や鳥たちの眼は人間の眼と全く違う構造をしており、感知するものもモノクロの明暗だけだったり、紫外線だったりする。花たちが、そういう虫や鳥の眼の特性、味の好みを知っていなければ、花たちの戦略は功を奏さない。それを「目や舌を持たない」花たちがやってのけた、そのこと自体が既に驚異である。戦略が決まるまでに花たちが重ねたトライ&エラーの数は数知れない。その中から偶然有利な形質だけを幾つも幾つも子孫に伝えて、今日の「りんどう」があるのである。俳句を作るということは、物事の上辺だけを見て、それらしく17音に収めることではない。哲学者のように、物事の本質や真実に肉薄する探求心、気概なしに、本当の俳句は作れないのだ。平井露香には他に/もんしろ蝶いま口紅をつけるから/男坂だよ急ぐな椿がうつくしい/目をあけて見る夢が好きアマリリス/銀色のノブをまわせばそこに秋/生き過ぎて日向とろとろ冬の蜂/負けん気の汗が乳房の裏に冷ゆ/など。

「父の日」は、例年六月の第三日曜日である。本来は父親の日頃の労をねぎらう日なのだが、「空白と同じ」だと、作者は言う。「母の日」と違って、「父の日」はどちらかというと軽んじられ、ともすれば忘れられて、「お父さん、いつもありがとう」の言葉を期待している父としては、家族からの何のレスポンスも無いまま、無為に過ぎていく時間に、肩すかしを食わされたような気分になったのかもしれない。「雨つづき」とあるように、六月は丁度梅雨の時期と重なる。仕事を言い訳に、日ごろ家族とのコミュニケーションを怠ったツケが、こんな形で現れたのかもしれないと、父の気持ちも、少し湿るのだ。日向野花郷には他に/キャンプみる若く魔界を疑わず/少年の面影眼元 遠雲雀/椎の秋少し悲しく土竜の屍/淋しさやをんなもひげを剃る二月/蛇を愛ずナースに脈を診られいる/ふつくらと体格美人新社員/アロエの毒全身に来て冬の恋/など。

初春の季語「春浅し」、その対のように晩春には「春深し」がある。ちなみに「晩春」は、4月5日ごろの清明から5月6日頃の立夏の前日まで。「春の深さを」「見ていたり」なので、視覚的に「春の深さ」を感じていることが見てとれる。一番視覚を捉えるのは、山々の木々の草の緑いや増す様や、とりどりの花が咲いては散り、実をつける様、蝶や蜂などが飛ぶ様などだろう。冒頭に「ながらえて」とあるので、当初今年の春をいつものように迎えられるとは考えていなかったことが解る。寿命をはるかに超えた高齢、もしくは大病の後だったのかもしれない。死を覚悟せざるを得ない、意識せざるを得ない、そんな状況で迎えた春だったのだ。あと何度春を迎えられるだろう。もしかしたら今年が最後かもしれない、そんな思いで春の景物を見る日が来ようとは!ことに「晩春」は春の終わり、「春惜しむ」の気持ちが最も強い時期である。二度と見れないかもしれない、そんな「春」の一つ一つを、「深く」目と心に焼き付けながら見ている様が切なく伝わってくる。日比野登志子には他に/夕焼けて風は人よりさみしいか/風になろう風になろうと芒原/考えの途中で曲るかたつむり/春眠の顔で逝かれてしまいけり/遠き虹ばかりを追うて老いにけり/花野に坐すなんと小さきわたくしかな/など。


「咳(しわぶ)いて」「椅子」を「さがす」のは、多分招待客か、先に誰かに席をとっておいてくれるよう頼んでおいた人だろう。一般の人は普通、適当に空いた席を見つけ、「咳」などせずに座るからだ。「咳」をすれば、会場の案内係か、席を取っていてくれた人の目は、自ずとこちらの方を向く。そう計算した上で、「咳」で注意を引いたのだ。「拈華微笑」で以心伝心、目と目が合えば、何処が自分の席か判る仕組みである。「拈華微笑」は有名な仏教説話。釈迦が花を拈(ひね)って見せたところ、弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意味を悟り、にっこり笑ってみせた、という逸話からきている。以心伝心、言葉に依らずに伝えることの例えとしてよく用いられるが、道元などは子弟間における面授の意味と受け取っているようだ。席をとっておいてもらって会場で落ち合うことは、普段私たちもよくやることだが、なかなかこういう微妙な場面を句にする事はない。こういう句材の死角を狙うことも、俳人ならではの目の付け所である。久行保徳には他に/うつくしき嘘朧夜の腕伸ばす/きざはしを斜めに踏んで星涼し/ねんごろに宙の暗部へ大根干す/一切は花栗の闇外厠/二の足を軽くしている猫柳/八千代座の奈落の湿り夏兆す/十六夜の椅子は瑞々しくありぬ/夕桜闇やわらかに狂いだす/など。

新型コロナの流行で、突然職と収入を断たれた人も多いに違いない。生物は今まで何度となく命の危機に直面し、そのつど生き延びてきた。巨大隕石の衝突が引き起こした突然の氷河期は、恐竜をはじめとする大型生物や、海の中で繁栄を遂げていたアンモナイトなど、約七割の生物を絶滅させたが、しかしそんな中、三割の生物は生き延び、後に繁栄を遂げた。その中には、ヒトをはじめとする有胎盤哺乳類の祖先のネズミ、そして鳥類がいる。どんな危機的状況も、生物を完全に絶滅させることはできない。そればかりか、むしろ死に物狂いの創意工夫が進化を加速し、生物を多様に分岐させ、新たな種を次々生み出してきた。まさに「必要は発明の母」なのだ。これからも多くの人が「まずしいくらし」を余儀なくされるだろう。そして「まずしさ」ゆえに、今までの生き方や価値観の見直しを迫られ、生き方やライフスタイルを大きく方向転換させるに違いない。恐竜が跋扈していた時代、小さなネズミたちは言ってみれば「負け組」だった。しかし環境の激変を生き延びたのは「勝ち組」ではなく、彼ら「負け組」だった。ネズミは体が「小さ」かったので、穴に潜り込んで体温を維持できたし、食物も少量で足りた。鳥も膀胱、大腸、輸卵管、輸精管を同じ一つの穴に集約することで体を「軽く」し、速やかに移動できたので、生き延びることができた。どちらも身の丈に合った、「持たざる」慎ましい暮らしをすることで生き延びてきたのだ。まさに掲句の言うとおり「まずしいくらし」の「屋根」に「青空」は「のる」のである。久光良一には他に/一生が夢であってもあなたは夢じゃない/一匹残った蚊のさびしさがたたけない/コツンと割った卵から朝があふれる/不器用に生きて器用に死んだ男の訃報/泣く場所がないから泣かない男でいる/ことばがみんな劣化したから黙っている/など。

「東北地方がごろり横たう」だなんて、飛行機の窓からでも眺めるか、地上に居ながら目に翼でも生やさならなければ、なかなかこうは言えない。「斑雪」は春の季語。春の雪は融けやすいが、地形によっては融けたところ、融け残ったところが生まれる。「東北地方」は、中央を奥羽山脈が背骨のように貫いており、雪は標高が高いところほど融け残るので、眼下にするとその背骨が余計目立ったのだろう。マサカリのような下北半島を頭に見立てると、ちょうど人が横たわっているように見えなくもない。17音という小さな器に、こんなにもスケールの大きな景色を盛り込めるとは!俳句が決して窮屈な器ではなく、伸縮自在の器であることを見せつけてくれた句でもある。樋口愚童には他に/眼前を舷側が過ぐ花の闇/葉桜や埋めた屍体の虚言癖/裏切りの日々まだ散らぬ山桜/霾曇りヒトはロボットを模倣する/大西洋海嶺が噴くカーニバル/鷽吹くかオカリナ吹くか嫁が君/ITを蔑視する罪寒卵/牛刺や忍者の里のしぐれける/など。

「立春」は2月4、5日ごろ。暦の上では「立春」でも、まだまだ「春は名のみの風の寒さや」の頃である。冬は活動が鈍り、どうしても家に籠りがち。外出の回数もぐっと少なくなる。そういう心身ともに閉鎖的な状態を、作者は「罠」のようだと感じている。たとえ暦の上とはいえ「立春」と聞けば、それだけで気持ちは開放的になる。春になったら、あれもしよう、あそこへ行こうと、想像するだけで心が弾む。夏も開放的だが、それは「罠より抜けし思い」の解放感とは違う。待って、待って、ようやく、という「思い」ではない。春の場合は、冬という季節の束縛があったことで、待っていたものがようやく実現する、一種独特の喜びをもって迎える解放感なのだ。東村美代子には他に/ゴッホの黄あしたは狂うひまわりです/多喜二の忌人を裁くに言葉もて/思い出は場所をとらない去年今年/芒原いわさきちひろの絵に似た子/花は葉に次のページに行くために/傷つけばその傷愛す紅椿/冬の雁を匿うためのきれいな手/など。

一句全体が昭和15、16年にかけてあった、新興俳句弾圧事件の隠喩となっている。「京大俳句」など、当時の新興俳句雑誌が、こぞって厭戦や反戦の句を掲載したことから、特高から睨まれるようになり、治安維持法違反で関係者が次々と逮捕された。「天網恢恢疎にして漏らさず」(天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむる、の意)なのに、「葡萄の鬼房だけ洩らす」というのは、「鬼房」、つまり新興俳句の代表作家の一人佐藤鬼房だけは、弾圧の「網」に掛からなかったという意味である。なぜ「葡萄の鬼房」なのかというと、単に葡萄の房のような新興俳句作家グループの一団から漏れたというだけでなく、彼には、野葡萄や死ぬまで続くわが戦後/野葡萄に声あり暗きより帰る/はじめ火があり百たたき葡萄の木/葡萄樹下奔馬のごとき洩れ日あり/葡萄種子吐きばうばうと沼に入る/葡萄食む子に光背の没日炎ゆ/野葡萄の花食ひ鳥となりおとうと/野葡萄や旱の影す秋篠川/など、「葡萄」もしくは「野葡萄」を詠んだ句がたくさんあるからだ。鬼房は16歳で俳句を始めたが、きっかけは偶然、有名な新興俳句雑誌『句と評論』を手にしたからである。のちに西東三鬼が鬼房を称して、新興俳句の「生えぬき」と言ったほど、鬼房と言えばイコール新興俳句だった。なのに鬼房は弾圧の「網」を免れた。なぜか。それは彼が偶々弾圧の始まった昭和15年、二十歳で徴兵召集され、その翌年には遠く戦地にいたからである。帰国したのは敗戦後の27歳の時。新興俳句の弾圧が始まったのは15年の2月14日だから、危ういところで難を逃れたと言える。その後鬼房は、権威を諾い群れることをせず、故郷宮城県塩釜に腰を据えて、新興俳句の「権威に対する抵抗の精神」を、句に表現し続けた。檜垣梧樓には他に/ガ島で頬被り死者はまだまだ飢ゑてゐる/紫陽花の鎌倉山で傘がない/霧は漉し餡村井和一呵々と笑ふ/戦争の廊下無数の寒卵/萩か芒かどこ吹く風や樹木希林/河骨やひとのあひだに雨が降る/ヒンドゥーの神とのあはひ羽抜鶏/など。

「郭公」は「鳴き」、駅に降りた人は「沈黙」している。まずこの声の有無、対比に気付く。「郭公」が鳴いているくらいだから、街中の駅ではない。郊外、もしくはかなり辺鄙な山中の駅である。降りる人もまばらで、ほんの数えるほど。もしくはたった一人降り立った、そんな風情だ。しかし一方で、「駅」というところが、街中であれ、山中であれ、ほぼ「普遍的」に、「黙って降りる」ところである、ということにも気づかされる。電車の中には複数の人が乗り合わせてはいるが、互いに無関心、無関係、つまり心情的には孤立した、繋がりの無い者同士である、という事実にも気づく。都会に勤めを持つ身には、「繋がりのある人」との日ごとの「人疲れ」が溜まりがち。人との接触を断ち、鳥の声に耳を澄ますのは、格好のリフレッシュになるに違いない。日置正次には他に/ハンモック海の機嫌のいいうちに/省略の行きつくところ実南天/送り火や聞けなかったね母の恋/ほおずきの袋の中は来世の灯/自分史のところどころに石榴裂け/背水の陣まぶしきや寒卵/春浅したぐりきれない縄がある/など。

「藤の実」は晩秋の季語。晩秋ともなれば、いわゆる「釣瓶落とし」となり、日没も早い。気持ち的には慌しいはずなのに、なぜ「ゆっくり午後になる」のか。読者としてはそこに引っかかる。お昼ごはんでも食べた後、庭の「藤の実」を見ながらお茶でも啜り、そんなまったりしたひと時を言いたいのだろうか。それとも久しぶりに山野散策をして、日常の時間に追われる生活から離れたところで味わう、リフレッシュした気分を言いたいのかもしれない。癌などの病気の原因の一つにストレスがある。時間に追い立てられることもその一つだ。ストレスは体の免疫系にダメージを与えることが知られている。心と精神を健康に保つのは、薬でもサプリメントでもない。ゆったりまったりした、ストレスの無い時間、それが何ものにも勝る妙薬なのである。伴場とく子には他に/いぼむしり勝手に涙が出て困る/人が来て木枯しが来てインターホン/台風が逸れて肉屋に肉並ぶ/寝返りをうつたび遠くなる花野/尖塔の十字架にたつ秋気かな/日傘たたむなんだか寂しくなりそうで/菜の花のえぐみはらからみな老いて/など。

「さむい地図」とは、おそらく輪郭のほかは何も書き込まれていない、雪のように真っ白な「白地図」だろう。「白地図」はネットで検索すれば、無料でダウンロードできる。自分で書きこめば、より地形や地名を明瞭に記憶できる利点があるので、登山好きやハイカー、受験生などに利用されているらしい。作者はそこにまず「いっぽんの川」を書きこんだのだ。自らの手で書きこめば、その地域との距離は意識の上でぐっと近しいものになる。人間の記憶は、感覚器官をどれだけ多く動員したかで、その歩留まりが決まる。楽すればするほど、記憶の歩留まりは悪くなる。人体の機能は動かすことでさらに活性化するが、動かさなければ退化する一方なのだ。吐田文夫には他に/芹摘んでたれかれの顔流れゆく/ところ天一気に押して父となる/放蕩やカタリと動く夜の栄螺/村中が柿すだれして蒸発す/八月の白粥吹けば人消える/聖五月あっけらかんと倒産す/トンネルを抜けると曇る肥後守/市民課に象一頭を登録す/など。

脳とは、簡単に言うと神経細胞(ニューロン)の集まりである。個々の神経細胞は神経軸索によってつながっている。この神経軸索に腕を巻き付けて、ウインナソーセージのように繋がった髄鞘(ミエリン)を形作るのがグリア細胞である。このウインナソーセージ=ミエリン鞘が、ちょうど直列の乾電池のような役割をして、神経軸索内を電流が流れる。さらに同じ形状の側枝が別の樹状突起と繋がり、興奮をコントロールするオートレセプターを形成する。グリア細胞が巻き付いてできるミエリン鞘が少ないと、うまく電流が流れず、伝達が遅くなる。「柿」を食べて「旨し」と感じるのも、これがうまく働いてこそなのだ。新型コロナ感染の特徴的な症状の一つに、味や臭いが感じられないというのがあるが、もしかしたらこのミエリン鞘にウイルスが悪さをして、電流が上手く流れない、つまり「会話」が成立しないのかもしれない。「生きている」というのは、この電流が流れ、うまく「会話」が成立している動的状態を指す。作者は「生きる」とは何か、「命」とは何かに強い興味と関心があるのだろう。「柿」を食べると脳の中で何が起こるか透視できるのだ。彼にとって食べられること、「旨い」と感じることは、決して「当たり前」ではない。まさに不思議、神秘、驚異なのである。この知識があるかどうかで、物の見え方、感じ方は全く違ってくる。無知な人は「旨い」ことに感動できても、彼のように「人体の不思議」に感動することは、おそらくないだろう。どちらが豊かな人生かは、言うまでもない。播磨穹鷹には他に/いぼむしりやがて宇宙を作りたがる/かなかなや全て消滅しなかった/たんぽぽよ神が忘れたものないか/人類が宇宙を出る日のあめんぼう/対象性崩れて平目の目となりぬ/新聞に宇宙包んで捨てにけり/梨の花さて極楽をどう生きる/など。

「松虫草」は初秋の高原に群れて咲く多年草。何といってもユニークなのはその花の形、そしてやわらかい青みがかった花の色。一度見たら、他の花と見間違えることはまず無い。大正の浮世絵師、グラフィックデザイナーの草分けと言われた夢二の絵は、美人画も含め、一目見たらすぐそれと分かるほどユニークである。「夢二」の「をんな」たちの、あの線の細い、嫋やかな佇まいに似ていると言われれば、そうとも見える。夢二は多情で、妻たまきとも同居別居を繰り返し、他に彦乃、お葉、順子と何人もの女性たちと関係を持った。「われに妻」の「妻」も「をんな」には違いないのだが、「夢二」の「をんな」とは、全く違うタイプの「をんな」なのだろう。「松虫草」の育つ高原は、風が立ちやすい。多情であることは、日常を波瀾万丈にし、心穏やかには過ごせないということ。その覚悟がもてない男たちは、忸怩として古妻に甘んじるしかないのである。原田要三には他に/いちはやく腰の気づきし隙間風/外套の中の孤独を連れ歩く/豊頬の妊婦出でくる薔薇の門/埋蔵金隠し続けて山眠る/冴返る駈込寺に裁きの間/初夢のしつぽを妻に踏まれけり/取れさうな釦に気づく草じらみ/大博奕打てぬ男の半ズボン/など。

夏の季語「蝲蛄(ざりがに)」の「大きなはさみ」と「有事法」の取り合わせ。「蝲蛄」の「大きなはさみ」は、敵や恋のライバルと戦う武器と思われがちだが、それだけが用途ではない。餌を挟んだり、交尾する際雌の鋏を押さえつけたり(なので鋏をもぎ取られた雄は交尾できない)、敵に噛みつかれ、背に腹をかえざるを得ない非常時に、「蜥蜴の尻尾切り」のように自ら鋏を切断して逃げたり(ちなみに切断された鋏は、脱皮の際にまた生えてくる)、色々な用途がある。そこが殺戮一辺倒の用途しかない戦争の武器と全く違うところ。「有事法」の「有事」は、他国からの武力攻撃、つまり防衛とはいえ戦争を回避できない危機的な非常事態を指す。ミサイルが発射されると7~10分で日本に到達するので、事態に迅速かつ強力に対処するには、国会で諮っている暇がない。平時からこういう場合はどうするか、決めておかねばならない。日本は大国アメリカの軍隊を駐留させ、いざという時に援軍を頼めるようにしているが、それは一方的な利益だけを考えたものではなく、相互援助を共通理解としている。つまりアメリカが攻撃された時は、日本もアメリカを援護するという約束だ。武器製造、武器輸出が基幹産業のアメリカは、世界のあちこちでドンパチをやればやるほど儲かるので、時には卑怯な手を使って、さも相手が先に攻撃をしかけてきたかのように、正当防衛を装うことがある。この方法は、欧米植民地主義からのアジアの解放という、表向きの大義名分の裏で、中国侵略、アジアの覇者たらんとした、かつての日本軍でも行われた。有事法が施行されれば私権は大幅に制限される。憲法は為政者の公権力の行使を規定し、制限するものだが、有事には憲法遵守とはいかない。何しろ非常時なのだ。国民を守るという大義名分の下、軍に大きな権力が付与される。権力は時に暴走する。そういう可能性無きにしも非ずなのが歴史の教訓である。地球上に戦争が絶えたことは殆どなく、いつもどこかでドンパチやっている。その被害者の大部分は、兵士ではなく民間人である。戦争は「百害あって一利なし」であることに、人類が気付くのはいったい何時になるのだろう。自らの鋏を切って敵に呉れてやる、「蝲蛄」の戦争回避の妙法に、人間が見倣う時は果たして来るのだろうか。原田やすひこには他に/えびね咲く鉄腕アトムの誕生日/冬蝶の通る径あり喪中なり/山側にせぐろせきれい目が弱る/長い派兵でこぽん丸くなる途中/噴き上げの中の天使よ教師老ゆ/派兵あり土筆いっぽんずつ摘まれ/など。

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