KUYOMI

2019年11月

一読景が目に浮かぶ。この句の詩的表現の肝は「育ちて」「侵しゆく」という、「雲の峰」の擬人化にある。この擬人化は、地球という水惑星における水の大いなる循環を、一種の生命活動の現れと見做す生命観から生まれた。人体も煎じ詰めれば分子、原子の集まりであり、分子、原子、それ自体には生命はない。死体と生体とでは分子組成に違いがないにもかかわらず、片や「静」、片や「動」で、生か死かが分かれてしまう。「動く」こと、「活動エネルギー」を持っていることが、「生きている」決定的な指標なのだ。雲も「育ち」、「湖面」に映るその姿が、徐々に湖面を「浸食」していく。まさに「動」的、「生」的である。雲に「動的エネルギー」を供給するのは太陽熱。死体はそのエネルギーを動的・生的に活用できない。「生命」とは絶え間ないエネルギーの循環だとすれば、そのような循環を成り立たせている分子間の関係性の網こそが、生命と言えるのではないだろうか。掲句の擬人化は、単に景色の上っ面をなぞったものではなく、生命の本質に届いている。ゆえに、成功しているのだ。奈良文夫には他に/甲板に寝て銀漢を胸の上/ジョギングロード呑み黝々と蝉の森/後続に蚊を叩く音河童の碑/夏草を薙いで探すや落し物/背後より旧知の声の牛蛙/空蝉を胸にすがらせ帰りけり/猪垣のブリキ叩けば日の落つる/集合写真笑へば柳絮飛び込みさう/など。

この句をどこで切るかで、意味が違ってくる。「夕焼」で一旦切るか、「夕焼ビール」という造語にして、最後で切るかの二択。「夕焼」も「ビール」も夏の季語。「当店は夕焼」だと、「夕焼」は店名、もしくは店の状態を匂わす形容になる。そして「ビールならある」が、それ以外の酒類は無いということになる。「夕焼」は明日の晴天を約束するもの。ご当地地ビールを揃えたビール専門店で、結構流行っている、そういう店の印象になり、店主の自負が匂う句となる。では「夕焼ビール」なる架空の飲み物をでっちあげたとしたら、どうなるか。「夕焼ビールならある」が、「それ以外のビールはない」という意味になる。ビールを買いに来た客に、「ビールはありません」、と身も蓋もなく言ってしまえば、「あ、そう」で、客は二度と店には来ないだろう。しかし店主としては、「袖擦り合うも他生の縁」、何とか客にこの店を印象付けたい。その咄嗟の工夫が、「夕焼ビールならあります」という、「言い換え」になったのだ。店主の「機知」のきいたこの返し、それを聞いて、客としては「おっ」と思い、思わずニヤリとし、忘れられない店になるのではないか。言葉遊びが得意な俳人が店主なら、いかにもやりそうなことだ。そして、解釈としては、こちらの方が断然面白い!行川行人には他に/かぜまたかぜすすきまたかぜかぜすすき/よく見ると花菜の僕は何番目/一月や粥と銀河が胃に残る/今日よりはこの世の虫として笑う/壺は秋のしずけさに気づいている/太刀魚は右向けみぎとならびおる/鶏頭の十六本目は臨界点/など。

「この暗き星」は、この地球である。なぜ地球は、こんなに「暗く」なってしまったのだろうか。経済最優先で、環境汚染対策を後回しにしてきたツケで、水、空気、土壌、海洋、食物の汚染が止まらず、地球もそこに住む生命も病んで、瀕死の状態、手遅れになりつつあるからだ。地球温暖化による異常気象、それに伴う激烈な風水害の増加、旱魃、森林火災などによる緑地減少、砂漠化、、動植物の絶滅により、微妙なバランスをとってきた地球生態系が、取り返しのつかないところまで追い詰められている。加えて、いじめ、虐待、自殺、心の病の増加など、特に若者たちは、前途に希望の光を見出せなくなっている。「しやぼん玉」は「春」の季語。春は、本来なら希望に満ち溢れているはずの季節。なのに、この「しやぼん玉」は、童謡「しやぼん玉」の歌詞のように、「屋根まで飛んで 壊れて消えた」「飛ばずに消えた」「生まれてすぐに 壊れて消えた」のだ。日本の若者たちを支配しているのは「恐れ」である。他者からどう見られるかを異常に気にし、言いたいことも言わず、ひたすら自己保身第一で、自分を殺すのが習い性になっている日本の若者たち。体を張って抗議する香港の若者たちや、マララ・ユサフザイさんや、グレタ・トゥーンベリさんのような、逆風を覚悟の気骨ある若者は、この日本から果たして生まれるのだろうか。浪山克彦には他に/しほからき日輪とありはせをの忌/せめて尾は渚に下ろせ春の虹/どの唇も歌ふ遺影の卒業子/秋暑し鋼びかりの山の墓/線量計差したる川を鮭上る/アフリカの闇うづくまる雨の檻/一木は海神のためもみづれり/北上川の蘆の花より童唄/など。

「風花」は、晴れた冬の青空に、花びらのようにちらちらと舞う雪のこと。「MRI」(Magnetic Resonance Imaging)は、磁気共鳴画像のこと。主に脳検査などで使われる。従来のCTと違い、放射線被曝を回避できる上に、おおよそ1mm程度の脳病変も検出することができる優れものだ。作者も脳のMRIを、撮ったか撮られたかして、その画像を見たのだろう。断層写真を次々モニターに映し出していくうちに、突如、あたかも「風花」のように、病変が幾つも白くちらつき始めたのだ。それが「あっ風花」。画像処理の設定によって、新しい脳梗塞は白、古い脳梗塞は黒く映るようにできるので、もしかしたら幾つか小さな脳梗塞が発見されたのかもしれない。「風花」は晩冬の季語。そこからこの病変が、油断はできない性質のものでありながら、春近し、真冬ほどの厳しさはない、そういう種類のものであることも示唆されている。並木邑人には他に/大寒の格助詞がひからびておる/寒鱈汁(ざっぱじる)また裏窓が消えてゆく/弑するは順(まつら)うごとし冬の梅/影(レプリカ)を列せよ 母という雪原/星読みによき鯨骨の椅子二脚/秒針を塞き止めている蟇/鉤裂きのように白梅咲きました/など。

「春の埃のやうにゐる」。これを「春」の句と読むか、「春埃」の句と読むか、「春の埃」を、母の描写と読むか、それとも作者自身のこととして読むかで、意味は大きく変わってくる。まず「春」の句、「春の埃」を「母の描写」として読んでみる。「埃」に「春」と他の季節では、何か違いがあるのだろうか。「春」は考えてみると、衣類から蒲団から、重たくて厚ぼったい冬物を仕舞い、色も材質も軽やかな春物を出す、いわゆる衣更えの季節でもある。当然綿「埃」も立つ。おそらく他の季節の衣更え以上に「埃」が立つのが「春」なのではないか。「埃」は総じて灰色でくすんだ色である。作者の「母」も、外見を飾る虚栄とは無縁の、白髪混じりの頭、化粧っ気のないくすんだ肌、地味で着古した服、それで満足する人となりなのだろう。なりふり構わず、自分のことは二の次三の次、家族最優先で生きてきて、生きざまがそのまま形になったような母。誰からも顧みられず、評価されることも求めず、文句も言わずに縁の下の力に甘んじ、それでよしとしてきた、辛抱強い母。そんな母に、作者は得も言われぬ「春のような温かさ」を感じ、誇らしく思っているのが、「春の埃」から伝わってくる。次に「春の埃」を「春埃」と読み、母が「春埃」のようだ、と読めばどうなるか。「春埃」は、冬中乾燥した地面や畑の土が、春一番、春二番などの強風に巻き上げられ、その辺をうっすら白く覆う埃のこと。花粉症を発症したり、車や洗濯物などに付着したりするので、厄介視されることが多い。となれば、先の読みとは逆転する。母は息子である作者にとって、「春埃」のような「厄介な存在」、「歓迎されない存在」というマイナスイメージになる。第三の解釈は、下記のコメント欄に示した通り。私自身は第二の読みが案外当たっているような気がするが、どうだろうか。名久井清流には他に/あらぬところに紙カイロ移動せる/すいつちよん畳一枚跳びにけり/トンネルへ枯野の貨車の尾が消ゆる/孑孒の棒をふらずに底にゐる/寒夕焼盗人森に鴉湧く/枯山のほうと吐きたる湯の煙/正装の鴉が歩く日の盛/陸続と仕事始めの塵芥車/など。

「黄落や読むには読みし」なので、「歎異抄」の中身は、有名な「悪人正機説」の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」以外、ほとんど忘れてしまったということだろう。「悪人でも往生する」という親鸞の画期的な教えは、「善人だけが往生する」と信じて、念仏に励み、善人たらんと努力していた当時の人々に、なかなか理解され、受け入れられることがなかった。「歎異抄」は親鸞の弟子・唯円による書。親鸞存命中も死後も、親鸞やその師・法然が説いた教えとは異なる異説が多くの門徒を混乱させていた。そこで、それを嘆いた唯円が、改めて親鸞の本当の教えはこうだ、と説いた書である。自分を善人だと信じ切っている人に限って、他者を非難、弾劾しがちである。その驕りが、実は往生の妨げになっていることに気が付かない。自分はお世辞にも善人とは言えないと、自分の悪を自覚している人は、他者をとやかく言うことに躊躇いを感じる。その己を知る謙虚な善根こそが、救いの根拠なのだ。長峰竹芳には他に/登りたきほどの木もなし秋の暮/さくらから次第に遠きものを見る/綿飴にたどりつきたる秋思かな/椿落ち滅多なことがたまにある/ぼうふらはときどき天を目指しけり/モナリザの顔も見飽きしラムネかな/夫婦相和さず桜の下にあり/など。

人は何のために「自分史」など書いて残したがるのだろう。出版社が勧める理由には幾つかある。①自分の生きてきた証を残せる②自分をよく知ることができる③「生きがい」が見つかる④自分のことが好きになる⑤自分をよく知ってもらえる⑥コミュニケーションを深められる⑦脳を活性化できる⑧つくること自体が楽しい、などなど。一番大きな理由は①の「自分の生きてきた証を残せる」からだろう。人は誰しも自分の人生は無駄じゃなかった、意味があったと思いたいのだ。しかし掲句の作者は「自分史など要らぬ」という。「砂日傘立てて」なので、海水浴にでも来ているのだろう。おそらく「いま」が楽しければ、「自分の生きた証」が残ろうが、残るまいがどうでもいいのだ。自分を、過大評価も過小評価もしない程度に「よく知っている」し、「生きがい」もあるし、自分のことも嫌いじゃないし、別に自分のことをよく知ってもらいたいとも思わないし、俳句という脳を活性化するのにもってこいの趣味も持っているし、句会でコミュニケーションは充分足りているし、「作る楽しみ」も無論とっくに持っているし、ということだろう。「自分史」を書くのを出版社が勧める美辞麗句の裏に、金儲けがガッチリ絡んでいるのも気に喰わないのかもしれない。大勢に順応しない、宣伝文句に踊らされない、俳人ならではの反骨を感じる句である。長嶺千晶には他に/油絵に昭和の暗さ夏館/人間は檻を作れり蝶白し/初夢の家族のかごめかごめかな/白き指灯に咲かせゆく踊りかな/恋語る洗ひ了へたる墓を背に/地獄絵図見て新蕎麦を啜るなり/独逸語の怒れるごとく胡桃割る/柿若葉音ばかりたて夫の家事/など。


「どの席も待てば空く席」、言われてみると、その通りだよね、という句。しかしこのことを人は、あえて口に出し、言葉にしたことがあっただろうか。案外無いのではないか。まさに表現の盲点、死角を突いている。当たり前過ぎて、敢て表現しないこと、言葉にしないことが、何と多い事か、と改めて気付かされる。その言わばみんなが「取りこぼし」たところを、丁寧に拾って言葉にするのも、濃やかな感性の、俳人ならではの仕事。「大西日」の射す、帰宅時間の満員バスか電車、その中に疲れた体で立っている作者の姿が見える。こういう毎日の決まりきったシチュエーションも、立派な俳句の句材となるのだ。長浜聰子には他に/畦を塗る原点は母の背中/百の目玉が乾く八月の吊革/秋時雨あなたの腕は港です/緑陰に空気の抜けた毬でいる/青田風はるかにプラトニックラブ/野遊びのひとり足りない帰り道/おぼろ夜の胸の砂漠をだれか行く/十薬を煎じ詰めれば母がいる/など。

「桜」を詠もうとすると、ついついその美しさを讃えがちになる。しかしものごとには、陰・陽、二律背反、美もあれば醜もある。生命とは、例外なく、西田幾多郎のいうように、生・死(アポトーシス)を共存させた「絶対矛盾的自己同一」な存在なのだ。俳人は反骨の臍曲りなので、人の踏んだ跡をむざむざ踏むのを嫌う。「人跡未踏」の角度から物事を捉え、詠もうとする。掲句もその一つ。「千本桜」だから、桜の満開時には、花同士、当然密々に重なっている。桜の花一つだけだと美しいのに、集合すると、何だかくすんで、野暮ったく見えるのは、誰もが経験するところだろう。「暮れぎわ」だと尚更である。それを作者は「感じたまま」、「嫌な色」と表現した。俳句は、おおむね間接表現が多く、奥歯に物が挟まった「察してくれよ」の文学だが、掲句のような「直接表現」は、大勢に順応なんかしないよ、多数派や大勢におもねるのは俳人のすることではないよ、という意志表示でもある。作者の気骨を感じる句だ。永野シンには他に/蓮華寺の気の触れそうな夕紅葉/雑兵でよいではないか草の花/鰯雲呑んでしまえと言われても/白鳥の声が星座をずらしけり/道草の少年やごになっていし/雨の隧道くぐり山椒魚となる/その先は子が書き足して冬の虹/秋潮の匂いを傘にたたみけり/など。

「浄土」は、「極楽浄土」「西方浄土」の「浄土」で、インドの「仏国土」(ブッダ・クシェートラ)」の中国語訳。「国土(クシェートラ)」は、重力場や電磁場の「場」に相当する言葉で、例えば、そこに鉄片を入れると磁気を帯びるようになる空間を「磁場」というように、「仏国土」=「浄土」とは、仏の力が働いていて、そこに入ればその仏の力の影響を受けて仏性が目覚めるようになる場所のこと。ちなみに「極楽浄土」の「極楽(スクハーヴァティー)」は、何でも思いのままに手に入る世界のことではなく、「本当の幸福が得られるところ」、様々な欲望、煩悩が完全に無くなってしまった「悟りの境地」のこと。「西方浄土」の「西方」は、日没、つまり日が沈めば慌しかった一日が終わるように、「心のなかの騒ぎが鎮まったとき、極楽浄土という世界が開けてくる」、ということを意味する。このお爺さんにとって、「芝桜」を「咲かせ」ることが、煩悩を忘れる時、心が一番鎮まる時、ほとけごころが出やすい時、一番幸福感を感じる時なのだろう。永津溢水には他に/パン食べて妻の出かける小正月/春風や老俳諧師チョコ貰う/異教徒を拒みて秋の塔尖る/箸先にふぐの刺身は影もたず/肘涼しクーニャン弦をかき鳴らす/ビーチボール弾き女体を翻す/霰降る天に慶びあるごとく/など。

「落し文」は1cmほどの象虫に似た甲虫。雌は、クヌギ、クリ、ナラ、クルミなどの葉を器用に丸めて揺籃を作り、そこに産卵する習性がある。それを切り落としたものが、むかし想い人の家の前に落とした巻物の恋文=落し文に似ていることから、この名で呼ばれるようになった。この葉の揺籃は、最後の仕上げとして、巻き終わりに葉の「蓋」をかぶせる。外敵の寄生蜂が侵入し、卵や幼虫を食べないようにするためだ。幼虫は孵化したのち、この葉を食べて大きくなる。わずか1cm足らずの虫の、何という知恵、母性だろう!虫けらなどと人間は馬鹿にしがちだが、虫たちは人間が思っている以上に、実は賢いのだ。そうでなければ、何億年もの間、生き延びることは出来なかっただろう。「記憶の蓋の少しずれ」は、この揺籃が示唆する「幼少時から成人するまでの記憶」、頭の中の巻紙に書かれていたはずの記憶が、一部失われる、もしくは記憶違いがあったことを示唆している。そして寄生蜂のような「老い」の侵入を許すことで、記憶が徐々に食い尽くされていくことも示唆しているのだ。永田タヱ子には他に/伸び縮みする港湾や星月夜/水音のつながる村の落し水/命日や蛇足なかりしなめくじら/どんど焼はたと論客逝きしかな/おとうとは風かもしれぬ鶴帰る/さくら狩さくらのままの母帰る/来し方をきつく編みこむ冬帽子/麦秋へ今走り出す馬埴輪/など。


「鱗立つ」。言われてみると、桜の花びらは「鱗」に似ている。「鱗立つ」といわれると、甘鯛の「鱗」を揚げて「立たせ」る松笠揚げや若狭焼、あのサクサクした食感をすぐ連想する。鱗は生臭いので、普通はとるが、甘鯛は例外で、鱗が旨い。そういえば甘鯛も桜色の魚だ。その鱗には確かに桜の花びらとの相似性がある。「山ざわざわと鱗立つ」なので、風が吹いているのだろう。「花より団子」というが、「散る桜」もまた、甘鯛の松笠揚げという食欲へ誘うだけでなく、その乾いた風情が、景色として唯一無二、「美味しい」ということなのかもしれない。永瀬千枝子には他に/サングラス雲翔ぶ空に空の息/戦後六十年の忍城の空鳥渡る/日本の男に生れ冷奴/空っ風に火星瞬き通しかな/西瓜ごろんと寝かせ関東ローム層/丸洗いする白菜と腕時計/舐めてみたらと思ふ塩辛蜻蛉かな/曼珠沙華喜寿と思へぬ美女ばかり/など。

季語は無いけれど、季節は類推できる。「背の」「嬰児」なので、おんぶされて寝ているのが解る。夏だとおんぶは逆に暑くて、すぐ目が覚めるし、春、秋は気候がいいので、「絶対に眠ると決めた」に意外性が無い。俳句は「おっ」という感動を詠むもの。赤ちゃんの熟睡に一番感動する季節といえば、冬しか考えられない。こんなに寒い中、よくもぐっすり眠れるものだ、とびっくりしたのだ。私は雪国で子育てをしたので、買い物や外出の時は、冬はねんねこのお世話になる。ねんねこは綿入れなので、とても温かい。赤ん坊に帽子をかぶせ、吹雪の時は顔を、透ける素材の薄いスカーフですっぽり覆ってやると、意外にぐっすり眠ってくれる。今のお母さんはベビーカー任せだが、ねんねこのなかで母の背に密着するのは、子供心に何より安心なのだ。その安心感が熟睡に繋がっているような気がする。長島武治には他に/十一月三日がんセンターに横臥の身/深夜放送聞く夜聞かぬ夜立春後/無闇矢鱈に蒼い冬空医者通い/遠雷や粗食の母の大欠伸/冬至南瓜日向で爆発し損なう/遠い雷鳴園児五人に母五人/米寿まだ水切り遊び負けたくない/暗闇の子猫両手につつめば肉/など。

「無印」と言う言葉が広く使われるようになったのは、株式会社良品計画が全世界で展開している店舗「無印良品」から。「無印」と言いながら、それ自体今では有名ブランドになっている。「無印の人間でいい」とは「無印良品」が意匠より品質を重要視するように、個性や流行より、簡素、シンプル、自然を志向するように、「名より実をとる」、上辺より中身を重視するということだろう。「青木の実」は、冬の荒涼とした景色に色どりを添える、艶やかな赤い実である。主に庭木として植えられ、冬寂びた庭に暖かい色を点す。目立たないが、ひっそりと家族の心を暖める存在、日々の家事をないがしろにせず、目立たない仕方で心を砕く、そういう地味な存在、他からの評価など求めず、ひたすら為すべきことを為していく、そういう存在で居たいということだろう。長島喜代子には他に/みかん剥く神の扉が開くように/大寒の陽を懐に脱皮する/熊笹の鳴いて氷を厚くする/血液さらさら張り切る黄たんぽぽ/行く先を読まれておりし冬満月/起きぬけに和音好みの蟬が鳴く/母と娘の手相の絆冬のばら/裸木の骨格黒々鯉跳ねる/など。

「自画像」は「嘘をつく」のだと言う。人は誰でも、自分のことは、自分が一番よく知っていると思っている。知っているばっかりに、ついつい自分のこととなると、評価が厳しくなる。褒められても、なまじ自分の嫌なところ、ダメなところを知っているので、「いやいやそれほどでも」、と謙遜する。かように「自画像」は他者から見た「その人像」とズレている場合が多い。他者はその人の1か2を知って判断するから、10知っている本人とはズレるのが当然である。作者も自分を実際以上に買いかぶる人と、酒席を同席したのだろう。「温め酒」のようにカーッと腹が温まると同時に、顔から火の出るような恥ずかしさも感じたに違いない。人と人は、理解ではなく、誤解で結び付いているのだ。長尾向季には他に/蝌蚪の午後鵞鳥の瞼重くなり/風花の警官カーテン少しだけ動く/蛇穴へさうして誰もゐなくなる/冬の橋貌なしばかり映るかな/うそ寒や自動販売機礼を言ふ/余震また弟切草を踏むなかれ/冬銀河人体標本ぐいと反る/わが死後はあの綿虫の中ならむ/など。

永井龍男は作家。生没年が1904-1990なので、いわゆる戦中派である。終戦の年までは「文藝春秋」の編集者だった。「ミシンを溢れ」た「落下傘」は、大日本帝国陸軍の落下傘部隊用のパラシュートだろう。「落下傘部隊」とは、輸送機で兵隊を迅速に敵の重要地点に運び、奇襲占領するための特殊部隊。戦時中、東京市荏原区(今の品川区西部)の藤倉航空工業荏原工場に、その落下傘を作る軍需工場があった。「霜の夜」とあるので、もしかしたら夜を徹し、昼夜を分かたず作っていたのかもしれない。その主な縫い手は、いわゆる銃後の「女子挺身隊員」たちである。落下傘の素材は、今でこそナイロンだが、その当時は軽くて丈夫な絹の羽二重。その絹の生産、製造にも、銃後の女性たちが多く関わった。落下傘の直径は約11メートル、重量は約15キロ。なので、「ミシン」から「溢れ」るのも十分頷ける。視察に行ったのは「霜の夜」。しかしこの季語は、日本の刻々厳しくなる戦況と、その後に来る敗戦を予感している季語でもある。巨大な国家権力と、それに同調した巨大な「人の目」という「同調圧力」、それに女性たちも否応なく呑みこまれ、「戦争協力者」とされた、そのことに対する悔恨と忸怩たる思いも、この季語には籠められているような気がする。永井東門居には他に/われとわが虚空に堕ちし朝寝かな/暖かし若き叔母なる口ひげも/帰る家あるが淋しき草紅葉/秋風や煙立つなる玉手箱/大丈夫づくめの話亀が鳴く/大麒麟ほどの肩凝り梅雨畳/松の花一の鳥居の中に海/消してより秋の灯と思ひけり/など。

「小正月」は、1月1日を「大正月」というのに対し、1月15日、もしくは1月14~16日にかけ行われる行事のこと。「女正月」とも呼ばれ、年末年始と忙しく働き詰めだった女性を骨休みさせる日ともされている。この期間には「餅花」を作って飾り豊作を祈願したり、「成木責め」といって、柿などの果樹を叩いて「生るか生らぬか」と脅したり、新婦の尻を祝い木で叩く「嫁叩き」や、子供たちがささらを打って家々を回る「鳥追い」、棒で地面を叩き回る「土竜打ち」、粥、もしくは小豆粥を炊いてその煮え具合で、その年の天候や豊凶を占う「粥占」、無病息災、悪霊退散を祈ると同時に、年神様を帰す「どんど焼き」などが行われる。「地球の空気が少し抜けてる」は、「女正月」には、女性たちものんびりし、楽しい行事が盛りだくさんで、緊張から解放されることを言ったものだろう。オゾンホールのことを想像する向きもあるかもしれないが、オゾン層破壊の原因となるフロンガスが規制されて、徐々に縮小されているということなので、それがもしかしたら「少し抜けて」の「少し」に反映されているのかもしれない。永井徹寒には他に/八月の 自覚症状はまるでゲリラ/戦後六十年 目も口も冷えている/爆心地のバス停みんな降りて 消えた/爆心地の陽炎 わらいわらい還る/表面張力 蟬時雨です九条九条九条/唇乾き毒もてあそぶ風の蜘蛛/師走或る日ぽこんと凹んだまんま/など。

「彳亍」「孑孑子規」など、文字面の面白さから発想した句。「彳亍(てきちょく)」の「彳」は左足、「亍」は右足を指す。意味は、「ちょっと進んでは立ち止まる」こと。確かに「孑孑(ぼうふら)」はそんな動きをする。「子規の庵」は東京の台東区根岸にある。最寄り駅は山手線・鶯谷だ。行ってみると分るが、鶯谷はラブホテル街。ホテルの角を曲り曲って少し抜けたところに、タイムスリップしたかのように、ひなびた木造平屋の子規庵がある。あまりに地味なので、看板が無ければ、見過ごしてしまいそうだ。作者もこっちかな、あっちかなと、何度も「歩を止めて」、ようやく探し当てたのだろう。その自分の動きを「孑孑」に見立てたのかもしれない。合わせて、まだ自分の句が人の意表を突くほど、蚊の「刺す」レベルにまでも達していない、そのことへの自嘲も、「彳亍(てきちょく)のままの孑孑」の、特に、「ままの」に籠められている。長井 寛には他に/つばくらめ大言海を越えんとす/ラ・フランス骨太の字の手紙受く/一頭づつ浮雲になる紋白蝶/翡翠の後ろの正面水鏡/大山椒魚邪馬台国の地を揺らす/大海人皇子幣振る海開き/尺取の越すにこせないランズエンド/新刊に腰帯空に桜東風/など。

「紅楼夢」は、18世紀半ばに曹雪芹によって書かれた中国の長編小説。『三国志演義』の「武」、『水滸伝』の「侠」に対して、『紅楼夢』は「情」の文学であるとされる。『紅楼夢』を読む人に、「『源氏物語』は退屈だ」、と言わしめるほど、当時の上流階級の日常生活が細部にいたるまで克明に描かれ、貴族の深窓の令息令嬢のプラトニックな恋愛に絡む心理の襞が、繊細に描きこまれている。永井荷風(1879年 -1959年)存命中、1920-1922年にかけて、幸田露伴・平岡龍城共訳で全訳本が出ているので、掲句の「つくゑの上の紅楼夢」はこの翻訳本かもしれない。永井荷風も、『濹東綺譚』など、道徳よりも美的感覚を重視した、繊細な人情を描くのを得意とした。『断腸亭日乗』は、彼の日常を微に入り細に入り書き残したもので、『紅楼夢』の記述と相通ずるものがある。もしかしたらその「つくゑの上」で書く日記、「日乗」の記録を「紅楼夢」に喩えたのかもしれない。「芍薬」は別名「貌佳草(かおよぐさ)」、「花の宰相」とも呼ばれ、中国東北部原産の多年草。大形の花で、高貴な美しさを漂わせ、豪華でエレガントな花である。一重、八重咲のほか、手まり咲きやバラ咲きなど多様な咲き方をするとともに、色も、白、紅、濃紅、ピンク、黄色、絞り、と多彩である。400人以上の多彩な登場人物を詳細に描いた大部の長編小説と、なんと見事に響き合う季語の取り合わせではないか!永井荷風には他に/人のもの質に置きけり暮の秋/物干に富士やをがまむ北斎忌/稲妻や世をすねてすむ竹の奥/紫陽花や身を持ちくづす庵の主/色町や真昼しづかに猫の恋/飽きし世にまた着る秋の袷かな/腰まげてジャップが申す御慶哉/悪人の妹うつくし破団扇/など。

「無駄なこと」と「無駄のないこと」の取り合わせの句。「賽の河原」は、この世とあの世の境目にあって、亡くなった人が渡る「三途の川」の河原のこと。そこでは親より先に亡くなった「親不孝」な子が、親の供養のため石を積んでいるという。しかし積んでも積んでも鬼が来て、それを崩してしまうので、いわば「徒労」「無駄な努力」という罰を受けるところとされている。しかし「賽の河原」の「賽」には、「お賽銭」という言葉が示唆するように、「神から受けた福に感謝して参る」という意味があるので、「賽の河原」は、実は「神から受けた福に感謝して参る川原」だということになる。その「賽の河原」に「茄子の花」が咲いているのだ。「茄子の花」は、「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない」と諺になっているように、結実100パーセントの花、「親の意見」の比喩、象徴でもある。のるかそるかの人生の局面で、あたかも「賽の河原」で「無駄」にもがいている「親不孝な」自分なのに、その自分を見捨てず、「賽の河原」まで同道し、「ここに居る」」よと、折りに触れ支え励ましてくれる親の存在、その幸い「福」に感謝しているということだろう。親不孝、逆縁の子も、賽の河原の石積みの後、最後は地蔵菩薩の慈悲に救われるが、それは不遇を経験すればするほど、親の恩が身に沁み、振り返って感謝の気持ちが深くなるからなのかもしれない。永井江美子には他に/おくれ毛を茅花流しとおもいけり/かなしみの台(うてな)に冬の木がたてり/きさらぎや鳥うつくしく空を切る/きみがいた場所に形代流そうか/この窓と決め寒月へ母逃がす/なめくぢり流れて夜の大都会/雪折れの母よまぶしき放物線/など。

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