KUYOMI

2019年09月

「終戦日」は、「神国」日本が「鬼畜」のアメリカに負けた日だ。「鬼畜」などと蔑んでいた相手の文化を、負けた途端百八十度宗旨替え。アメリカのモノなら何でもいいと、衣食住全般にわたり、手放しでアメリカナイズしてしまった。そんな節操のない日本人の変わり身の早さを、掲句は皮肉っている。しかし一方で、変わり身の早さは、柔軟性の現れでもある。互いに影響を与え、与えられつつ、自国の文化を上書きし、伝統を更新していく。ちゃんぽん文化こそ本物の豊かさ、それを知っているのも日本人なのだ。隈元拓夫には他に/あちこちに穴のあきたる秋思かな/ひよんの笛のなかに眠たい風の精/さるすべり動詞を焼きに柩発つ/魚座より吸殻落ちてくるかも知れぬ/仏壇でゆつくりさめている雑煮/薄氷に鬱という字を書いてみよ/雉食つておんなの肋折りにゆく/など。

「遮二無二走る」のイメージはスピード感。それなのに「遅遅として」という、読者の予想を裏切り、予定調和を崩す言葉を持ってくる。俳句ではよく使う手だが、「蛞蝓」の身になってみると、哀れで、なおかつその必死さが滑稽である。生きるということは、「哀れ」且つ「滑稽」なことなんだ、ということが、改めて伝わってくる。私たちは人間なので、人間以外の生き物が、日々どんな思いで生きているかは、知る由もない。あまりにも何もかもが違い過ぎて、想像する事さえ不可能だ。地球上に生物の種は一体どれくらいあるのか。今のところ既知のものだけで約870万種と言われているが、未知のものはこの9倍もあると言われている。この地球上には、生物の種類ごとに異なる概念、常識が共存しているのだ。同じ概念や常識で生きていると、氷河期など大きな気候変動が起きれば、生命は生き延びることができない。海底の熱水付近で生きる蝦や、酸素や光が無くても、零下何十度の極寒でも生きていける生物など、異なる常識で生きるものがいるので、ある種の生物は絶滅しても、他の種の生命は生き延びることができるのだ。人間の「遮二無二」と「蛞蝓」の「遮二無二」は、必死さという点では同じだが、そのスピードにおいては明らかに違う。ゆっくりだからと言って、必死ではないとは言えない。同じようなことは人間同士でも言える。ペストは多くの人を殺してきたが、鎌状赤血球の人たちは生き延びた。ケニアの足の速い人たちから見たら、日本人の必死に走る姿は遅いように見えるだろう。インド人の常識と日本人の常識も、大きく異なる。同じ日本人でも、北海道の人と沖縄の人では、また違う。種は同じでも、個々人、みな違う、それが正しい世界の認識の仕方である。自分の感覚を絶対視し、他をあげつらう人は、だから「自然に対して私は無知です」、と公言しているのだ。熊坂 淑には他に/そら豆の莢に三つの知らん顔/扇風機八方美人を通すなり/素麺をすすって今日に暇乞い/杉花粉きみが崩せる目鼻立ち/酔眼に月のウサギの増えること/矢車の時には哭くよ恋の風/万緑やこれも無限の一かけら/冬の陽の今日あたためし人や街/など。

「火」と「雨」の「水」、「火の国」の「大」と「雨蛙」の「小」が対比されている。「雨蛙」の「喉」、特にその「やわらか」さに着目した。「雨蛙」は全国どこにでもいるが、「火の国の」と限定することで、「余所とは違う感」を出している。俳句は一般的な詠み方では人の心に刺さらない。特殊性、一回生を、ピンポイントで描かねばならない。「火の国の」、「喉やわらかき」、と「限定する」ことで、今自分が見ている「雨蛙」の特殊性を出すことに成功している。久保田凉衣には他に/かりんは実無骨に垂れて少子国/伸びて縮んで伸びて働く大暑の影/尺取虫五尺二寸の兵たりし/河豚喰らい背凭れのなき椅子に酔う/子かまきり弾き鍵孔探る夜や/うぶすなの往還ふとき毛虫這う/氷下魚釣る一人に青き穴ひとつ/など。

正に俳人ならではの眼の付け所。こんなちょっとした「おやっ」という気付きだけで、立派な一句になる。大きな感動ではなく極々小さな感動、日々の「小さな気づき」の積み重ねが、人生を豊かなものにしてくれる。欲張って、意味深な膨らみのある句にする必要はないのだ。見えないのは金魚や金魚玉のせいではない。自分の立位置のせいである。自分の立位置を変えれば、見えなかったものも見えてくるのだ。辻田克巳には他に/冷蔵庫ひらく妻子のものばかり/老人はくさめのあとをぶつくさと/また別の涼しさ池のこちら側/としよりが毛虫いぢめる棒の先/蠅たかる死んでからみな行くところ/淫靡なるかな中年の平泳ぎ/告別の矢印枯野指しゐたり/野火放つ一瞬愉快犯の快/など。

「狐火」と「男」という、本来比較対象にならないものを、「信じる」か「信じない」かで対比して見せた。一見非科学的な「狐火」の方が信じにくいように思うが、現実は逆だというのだ。「狐火」は、写真にでも撮らなければ証明できないが、証拠が無くとも、見たと言う人の言葉にはなぜだか信ぴょう性を感じる。「変な奴」と思われる危険を敢て冒してでも、言わずにいられない、その衝動が本物だからだろう。「男心」も目に見えないが、それを代弁し垣間見せてくれるのは、言葉と行動である。言葉と行動に一貫性があれば信じやすいが、そうでなければ信じるのは難しい。言うこととやることの、いわゆる言行不一致は、すなわち腹の中では別のことを考えているということだからだ。会社や組織の中に身を置く事の多い男たちは、往々にして出世や、自己保身から自分の本心に蓋をし、長いものに巻かれがちである。自分や他に嘘をつき、波風を立てないよう、うまく誤魔化すことが習い性になっている。作者自身、一人の男性として、逓信省の官僚として、忸怩たるものを日ごろから感じていたのかも知れない。富安風生には他に/きびきびと万物寒に入りにけり/蹴あげたる鞠のごとくに春の月/着ぶくれて浮世の義理に出かけけり/殺されるために出を待つ団扇かな/一生の楽しきころのソーダ水/家康公逃げ廻りたる冬田打つ/小鳥来て午後の紅茶のほしきころ/など。

「我が肩に蜘蛛の糸張る」という言葉が示唆するように、富田木歩は1歳で罹った病気のため、26歳で生涯を閉じるまで歩くことができなかった。家も貧乏人の子沢山で、小学校にも行けず、本を読んで独学で文字を覚えたという。俳句を始めたのは16、7歳の時。「我が肩に蜘蛛の糸張る」は、木歩がほとんどの時間動かず、その場に座ったきりを余儀なくされていたことを示している。彼はそのような境涯にありながらもいつも明るく、彼を慕って多くの若者が彼の営む貸本屋に集まり、若いながらも俳句の指導などもしていたらしい。彼が結核に罹患した時には、全国の俳友たちが療養費用を惜しみなく寄付したというから、その人柄がいかに愛されていたかが分かる。「秋」は日の暮れるのが早い。貧しさから自然光を惜しむようにして、読書や句作、書き物に励んでいたのかもしれない。一段落ついてふと眼を上げたら、西日が肩に当たって、蜘蛛の糸がきらりと光ったのだ。秋は暑くなく寒くなく、神経を集中するのにはもってこいの季節である。春だと途中で眠くなるし、夏は暑くて集中が途切れがち。冬も暖房の温度調節やトイレが近いなどで、集中が途切れがちである。無い無い尽くしの境遇の中で精一杯生きた木歩。関東大震災の火災に巻き込まれて亡くなったが、彼を生前何くれとなく支えた無二の親友が、死後彼の遺稿をまとめている。作品も大事だが、不遇を嘆かない明るい精神の在りよう、俳人たるもの、五体満足で愚痴など言ったら罰が当たると思わせてくれる。富田木歩には他に/こほろぎや仮の枕のくされ本/秋の夜や人形泣かす一つ宛/行く年やわれにもひとり女弟子/行人の螢くれゆく娼婦かな/面影の囚はれ人に似て寒し/死装束縫ひ寄る燈下秋めきぬ/嫁入りを見に出はらつて家のどか/蟻共の尻みな光る春日かな/など。

俳句は初物を良しとするところがあるが、「鬼」に「由緒正しき」という形容が付くのを初めて見た。「由緒正しい」という言葉には、「代々の、家の伝統を踏襲した在りよう」という意味合いがあるので、作者の母も、そのまた祖母も「子を産んで」豹変し「鬼」となったのであろう。子供を無条件で可愛いと思うのは、ほとんど寝たきりの、言葉もまだおぼつかない最初の1年ぐらいである。言葉を覚え、好き嫌いが出る1歳半ぐらいのイヤイヤ期から、自我の出るギャングエイジを経て、わざと親を困らせ、どこまで我儘が許容されるか、親の反応を試す知能犯に豹変する子供。親の弱点を見抜き、親を懐柔する狡い手を使ったりして、年々小憎らしい存在になってゆく。仏の顔も三度まで。四度目には、親は否が応でも「鬼」にならざるを得ない。思い通りにならないことを通じて親は、子供が自分とは別人格であることを、嫌と言うほど痛感させられる。自分が他者の言いなりになるのが嫌なら、親といえど、子を思い通りにしようとしてはならない。しかし命や健康にかかわる生活習慣、人間関係のイロハは、好きだろうが嫌いだろうが、心を「鬼」にして教え込まねばならない。それさえ済めば、親は親の道を、子は子の道を、誰にも気兼ねなく行き、鬼の仮面も外せるのだ。飛永百合子には他に/クールビズおとことっても青っぽい/死ぬ力残して春を病んでをり/良かったよ僕がどんぐりだった頃/大夕焼いきなり十返舎一九/縄飛びの中で年とる間柄/天の川から水ひいてきてオンザロック/まだ海で泳ぐつもりの秋刀魚買う/など。

「キャボの花」が、いくらググっても出てこない。もちろん「歳時記」にも「広辞苑」にも出てやしない。キャベツを縮めて「キャボ」と言ったのだろうか。キャボという商品名の鋏があるので、その開いた様を「花」といったのだろうか。キャボットという会社が作っている特殊カーボンブラックのインクジェット塗料、それで印刷したから「キャボの花」なのだろうか。「キャボットなんたら」というデパートやアウトレットモールや花屋があるので、そこの花だろうか。分からない。ただ一つ分かったことは、「わからない」は、「解りたい「知りたい」というスイッチを押し、かように想像力を掻き立てて已まないという事。「わからない」と言って、句を切り捨てる選者が多いが、実は、「わからない」は、俳句や詩の最も大事な核、想像の駆動力なのだ。殿岡照郎には他に/スペイン語はいいね旅のリンゴなり/神は前から来る天道虫だまし/ころんで起きて混血児野にあそぶ/有って無き吾が子や如何に秋の風/音楽を低くせよ 八月十五日/あれは白ふくろうの声新位牌/眼の奥の奥のこがらし父母の墓/など。

中七が字足らずの破調の句である。「解夏(げげ)」は禅宗の修行の一つで、「夏安居(げあんご)」「夏籠(げごもり)」ともいう。「安居・籠」が示唆するように、5月15日~8月15日までの90日間は禁足、つまり寺院の外には一歩も出ない。作者はそれを知らずに「僧」に「道を聞」いたのだ。何の制約もなく自由に外を出歩くことのできる自分が、自由に出歩くことができない僧に「道を聞く」。手術して食事制限をされている人の前で、見舞客がやたら食べ物の話ばかりする、それと同じくらい無神経な行為だと、すぐさま気付いたのだ。知らなかったとはいえ、聞かれた側の僧にすれば、修行の心が揺らぐような、かなり複雑な思いになったのではないだろうか。そのことに気付いて、作者は、自分の無知と無知ゆえの無神経な行為を恥じたのだろう。「字足らず」は、その自分の知識と配慮の「欠落」を示唆しているのかもしれない。仏教国の日本に生まれ育って、なんとなく仏教を知ったつもりになっている私たち。入院中の人のところへは食べ物を持っていかないように、仏教に関しても、必要最小限の知識は仕入れておくに越したことはない。失敗を機に、おそらく作者も「灯台下暗し」にならないよう、向学心を掻き立てられたのではないだろうか。山老成子には他に/いま啼いた鴉が起点春立てり/ラムネ玉からりと胸を浚ひけり/借りて抱く嬰に火のつく初嵐/屈折は水の言霊芦の角/海の日の沖へ届ける白い椅子/寒雀翔ち遅れしは磧(いし)となる/キャンパスの横文字丸文字花の昼/など。

「夕かなかな」と「漢方薬」の珍しい取り合わせ。どちらも「いのち」を思い起こさせる。K音の繰り返しも効いていて、しかも、リアリティーがある。種類にもよるが、漢方薬はどちらかというと遅効性、ゆっくり効いてくる。朝飲んだのが夕方に効いてきたのかも知れない。もしくは一ヶ月二ヶ月と飲み続けてきたのが、ようやく効いてきたのかも知れない。「かなかな」を始め蝉全般は、地中にいる期間が長く、数か月から数年、寿命が短いどころか、昆虫の中ではかなり長命である。成虫となってからの寿命がせいぜい2週間~1ヶ月なので、短いと誤解されているに過ぎない。虫籠で飼ったりすると、唯一の主食である樹液が吸えないので、1週間ほどで飢え死にしてしまう。これも誤解を助長する一因になっている。かなかなの成虫になるまでにかかる時間、漢方薬が効き目を表してくる時間、そのゆっくりした時間が「呼応」し、ベストな「取り合わせ」になっている。徳弘喜子には他に/本当に消えてしまった鱧の骨/むかご飯悪事おおかた忘れたり/追憶の触れてはならぬ猫じゃらし/雪降るを言い銀将の指しどころ/あした行く方より来たりつばくらめ/しばらくはつづく不幸と燐寸の火/ここに居らぬ人を数える竹の秋/など。

無季。だが、明らかに約500万年前の人類誕生の初期を思わせる内容である。「二足歩行」とは、脊椎と脚を垂直に立てて歩くこと。人類と他の霊長類を見分ける大事な指標の一つで、「常時」二足歩行するのが人類と定義されている。二足歩行によって①手の自由②脳容積の増大 (大脳化)③分節的な音声言語を操るのに必要な口腔空間の拡張、というチンパンジーから分化する進化のジャンピングボードを手に入れた。人類の誕生は今のところ、二足歩行の痕跡を残した最古の化石が見つかった、エチオピア・ケニア・タンザニアにまたがる東アフリカの大地溝帯、もしくは南アフリカの東にある「人類のゆりかご」と呼ばれるところだと考えられている。大地を東西に引き裂くプレート・テクトニクス運動による地殻変動は、大規模な気候変動をもたらし、東側の熱帯林が草原化、類人猿の一部は新たな環境に適応することを余儀なくされ、文字通り「森を出て」行かざるを得なくなった。東へ東へと移動すれば程なく到達するのがインド洋である。どんな思いで彼らが「海を見た」のか、その驚きと興奮、戸惑いと感慨は、私たちの想像をはるかに超えるものだったに違いない。しかしそれは彼らに新たな可能性の扉を開いた。海産物を食料とすることができ、塩分供給にも役立った。今日でも自然災害などで、時に慣れ親しんだ環境を手放さざるを得ない時がある。変化した環境に順応することで、道具の発明など、多くの智慧や技術を獲得、ピンチをチャンスに変えてきたのが、まさに人類なのだ。徳永義子には他に/カラカラと氷片鳴らしふと流離/夏岬風よ光よ気化するわたし/手花火の火花チリチリ我が脳/曖昧な日々を海鼠の時間かな/餓えの日のバラード石に苔の花/耳鳴りや枯野をわたる波がしら/総(ふさ)だけの軍旗(はた)焼いてのち髑髏/など。

言葉が「意味」と「音」で出来ているように、人生が「意味ある仕事」の時間と「リラックスした遊びや休憩」という、一見無駄な時間で出来ているように、俳句も、大きく分けると、意味中心の句と、音中心の、意味的には殆ど無内容な言葉遊びの句、その二つの行き方がある。掲句は後者。オール平仮名、「ぷりん・ぶりん・ふりん」と「ぽ」の音が弾んでいる。意味じゃなくて、この句は音を楽しんでね、というそういう作りの句だから、ひたすら音を楽しめばいいのだが、どこからこんな発想が生まれたかは知りたい。たぶん「たんぽぽ」の綿毛が飛んでいるのを見て、浮気な男性があちこちで精子をばらまくのを想像したのだろう。そこから「ふりんぐらし」という言葉が生まれ、そこから「ぷりん」や「ぶりん」が、「ふりん」の結果として生まれる子どものように、自然発生していったのだろう。詩の働きは、世界の見え方を変えること。この句を読んだ後では、可憐な「たんぽぽ」も、浮気性なドンファンに見えてくる。そこが作者のネライなのだ。徳永希代子には他に/ちはやぶる秋は豆腐屋からくれない/ゴキブリの夫婦重なりあって終わる/シクラメン形のごとく偏頭痛/上人の口に届ける歯磨粉/優しさのかさぶたがとれ夏祭り/分別の頂点にあるからすうり/魚ごころあれば星座からメール/など。

「鮃」は冬の季語である。一番脂がのって美味しいのが冬だから、というのがその理由。従って季重なりとなるが、「鮃」は年中採れる魚。夏(5月6日ごろの立夏~8月8日ごろの立秋前まで)の鮃は、冬に比べるとやや脂分が少ないが、寝かせて熟成させれば、「猫またぎ」などと言わせないほど、それなりに美味しく食べられる。特に梅雨明け前、6月~7月中旬に採れる鮃は、掲句にも「大鮃」とあるように、サイズも大きい。自分で釣ったか、人から貰ったのだろう。生きのいい「大鮃」が「廊下」に置いた途端「はねまわ」ったのだ。それを掲句は「大鮃」ではなく、「廊下」が「はねまわ」ったと、主客を逆転させて表現した。こういうことはよく起きる。橋から下の川の流れを見ていると、流れているのは川ではなくて、橋とその上にいる自分が流れているように感じる。流れていく雲を見ている時も、似たような気持ちになる。「大鮃」の跳ね方があまりに凄まじかったので、あたかも「廊下」の方が跳ねているかのように感じたのだ。「夏の廊下を」では、この「凄まじさ」は伝わらなかっただろう。「見たまま」ではなく、「感じたまま」を表現する。それによって、「大鮃」の跳ねる「凄まじさ」が、作者が本当に伝えたかったことが伝わる句になった。徳才子青良には他に/いくたびも柳にとびつく無人駅/きらきらと色街だった風邪薬/ぼた餅をふところからだす威銃/めごめごといわれて金魚転びけり/団栗に老母がひとりついてくる/満潮が一番弟子となりにけり/黄葉落葉そろそろ息を止めようか/など。

「望遠鏡」というと、すぐ家庭や身近な天文台にある光学望遠鏡を思い浮かべる。しかし望遠鏡にはもう一つ電波望遠鏡というものがあり、「望遠鏡の中にいる」の「望遠鏡」は、もしかしたら後者の電波望遠鏡かもしれない。惑星の材料となる塵やガス、ガスに含まれるアミノ酸は、マイナス260℃程度の低温のため、光を放つことができず、光学望遠鏡では見ることができない。しかし、物質はそれぞれ固有の周波数で振動しているので、電波望遠鏡を使えば「見る」ことができる。有名な南米チリの標高5000メートル、アカタマ砂漠に設置されているアルマ望遠鏡は、66台の電波望遠鏡からなり、総口径は16km、山手線の直径に匹敵する。人間の視力に換算すれば、何と視力6000。東京にいて大阪の一円玉が見える視力だ。138億年前のビッグバンには及ばないが、それでも130億年前の宇宙が放った電波を捉えることができる。世界の22の国々が共同で運用、観測し、日本も参加。毎週土日には一般見学も行われているので、作者もこれに参加したのかもしれない。「十二月」という「極月」に、宇宙の果て、始まりを見に行くとは、なんとも乙ではないか。時広智里には他に/紫陽花は色を旅しておりました/黄落は母の膝よりはじまりぬ/この川を神と思いし曼珠沙華/北国の火種を一つもち帰る/木喰佛抱けば一瞬酢のかおり/黒潮も私も仲間葱坊主/フリージャの花より甘き猫の恋/草餅に芭蕉流離の味がする/など。

「アビラウンケン」は真言密教のマントラで、密教の本尊・大日如来に対して唱える、祈りの呪文。大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものと考えられている。命ある全てのものは大日如来から生まれ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられてきた。「アビラウンケン」の後ろに「ソワカ」をつけると、「あらゆることが成就しますように」という意味になる。「台風圏」の中、そわそわと落ち着かない猫を「迷走」と表現。「台風」も「猫」も、人間の思い通りにはならない存在。なので、必然的に神頼みの心境になるが、掲句は「アビラウンケン」のみ。自分の願う通りにしてください、というより、願い通りにはならないだろう、むしろ「みこころのままに」という、大いなるものに全てを委ねきった、いい意味での諦観を感じる。時田久子には他に/ビー玉の歳月もぐらが押し上げる/噴水の差し上げてゐる死後の景/春日遅々手古奈の歩幅計る橋/春眠の道連れにする猫が居ない/筋書は出来たバラの芽よ出番/紙袋に詰めた春愁一打する/千本目の針に五月晴を通す/御慶から屏風の中の酒祝ひ/など。

「笑うと怒られそうな街」とは、どんな街だろう。少なくともあけっぴろげな下町の雰囲気ではない。高い塀をめぐらし、防犯カメラなどのセキュリティもバッチリ、さもお金持ちらしいお屋敷が立ち並ぶ閑静な高級住宅街、そんなところが目に浮かぶ。空調もバッチリだから、家人の声も滅多に外へ漏れることがない、昼間でも静かな、そんな街。以前住み込みで働いていた家のある界隈がそうだった。どの家も馬鹿でかく、有名デザイナー、野球選手、俳優、有名企業の社長などが軒を連ね、めったに隣人とは顔を合わさない、暗に一定レベル以下の人間を拒絶しているような、そんな街だった。下町の風通しの良さとは別の風=「木枯らし」が冬と限らず吹いているような、そんな街だった。峠谷清広には他に/鯛焼や上杉謙信女性説/人間を消したがる街冴え返る/金木犀母の腋毛を見る少年/恵方とは反対へ行くお父さん/ポスターに恋する少年地虫出づ/秋思して宇宙の奥に到達す/熱燗や声に傷ある男達/風船やみんな中流家族です/など。

「関東平野」の「大」と「深爪」の「小」の取り合わせ。「ハッ」とさせられるのは、「あっ深爪」の「あっ」である。テレビのニュースを見ながら、もしくは飛び散る爪を受けるため、新聞紙でも敷いていたのだろう。テレビ画面に目を上げた瞬間、もしくは新聞記事に気をとられた瞬間、うっかりやってしまったのだ。凡手の俳人ならそれを「花冷えの関東平野深爪す」などと、なだらかに書きがち。もしかしたら、作者の初案もそんなところだったかもしれない。しかし、作者はこれでは本当に伝えたいことが伝わらないと思ったのだ。作者としては深爪する、正にその「瞬間」を詠みたかった、そこをこそ伝えたかったのだ。「あっ」と思ったそのままを書くのは、結構思い切りが要る。しかし、それしか伝えたいことが伝わらないのであれば、いくらイレギュラーでもやってしまう、それが俳人魂なのだ。東金夢明には他に/長き夜の結び目ばかり増えてゆく/喉元は絶対見せぬ熟柘榴/壺割れてその内景の枯野原/奈落から蠅捕蜘蛛を連れてきた/時間から零れたままの水蜜桃/木枯しの事の次第を聞いてやる/炎昼の兄の背中に展翅台/黄昏の油地獄のかきつばた/など。

「生き生きと死ぬ」で思い出すのは、櫂未知子の「いきいきと死んでゐるなり水中花」(2000年発表)、及び類句だとして、後に櫂の抗議によって取り下げた奥坂まやの句「いきいきと死んでをるなり兜虫」(2002年発表)の、いわゆる「類句・盗作」問題である。しかし色々調べてみると、櫂の前にも「美しく溺死してゐる水中花」(1995年・香下壽外)という句があり、櫂と奥坂の間、2001年には鳴戸奈菜が「水中花目をあけている死んだまま」という句を発表している。こちらに関しては、櫂は抗議をしていない。掲句もこれらの類句を知ったうえで、敢えて一石投じたのだろう。「危うい橋は渡らない」、のではなく、敢えて危険を承知で渡ってしまう。安全第一の自己保身は俳人の心性ではないことを、作者は知っているのだ。類句問題でよく引き合いに出されるのは、中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」である。これには先行句に志賀芥子の「獺祭忌明治は遠くなりにけり」があるが、草田男の句を盗作として抗議する人はいない。また山口誓子の「海に出て木枯帰るところなし」にも、江戸の俳人・池西言水の先行句「木枯の果てはありけり海の音」があるが、こちらも盗作もしくは類句として問題視する声を聞かない。声高にオリジナルを主張し、類句を攻撃するのではなく、時の審判に委ねる、そちらのほうが世間の常識を斜めに見る俳人らしい態度だと、もしかしたら思ったのかもしれない。「実むらさき」は、紫式部の木になる実。零れても美しい「むらさき」のままである。その美しい色のまま零れることを「生き生きと死ぬつもりです」と言ったのだ。寺尾敏子には他に/本棚の裏に川音桃咲けり/死んでゆくときあたたかなぼたん雪/零戦のうしろを過ぎる蛍かな/春愁やころがしてみるコルク栓/一枚の毛布と自由とバーボンと/頂上で真水に還る山桜/回復棟菜の花いろに灯りけり/など。

「薄氷を踏」むことと「秒針」が「ずれる」という、およそ因果関係の無さそうな二者を、あたかも因果関係があるかのように取り合わせている。これが俳句における「取り合わせ」の王道だが、なぜこの形が良しとされるのか。それは、「あらゆるものは繋がっている」という、「華厳経」の宇宙観、ひいては現代の天文学者の発見した宇宙観の反映、つまり「自然に適った姿」だからである。「華厳経」の入法界品は、「一瞬の時の中に同時に全てが存在し」、如来性起品には、「宇宙空間に拡がった網の目の結び目一つ一つに水晶の珠があり、その一つ一つの珠に、ほかの全ての珠が映り込んでいる」、という世界観を描く。言い換えると、私たちの心身は、全宇宙の存在から影響を受けていて、私たち一人一人も、宇宙の中のすべての存在に、有形無形の影響を与えているということ。「カオス理論」における「バタフライ効果」のように、些細と見えることでさえ重要であり、世界のすべては鎖のように繋がっていて、改変に次ぐ改変の連鎖、永久運動のさなかにあるのだ。「薄氷を踏」む行為は、ごく些細な行為である。「秒針」が「ずれ」る位の影響しかないかもしれない。しかしそんな些細が積み重なれば、思わぬ大変化を生むとも限らない。俳句が日常の些事に拘るのも、多分にそこに意味があるから、そんな気がする。手塚玉泉には他に/夏の雲形あるもの消えるもの/思惑を薄切りにして冴える街/秋の山向こうに魂置きに行く/緑陰に消せない謎を解く予感/空蟬の伝えたきこと透けている/去年今年少し濃くなる生命線/街は冬人間だんだん膨れ出す/冬東都積木の空が崩れ出す/など。

「少年」を春に擬える句、また老人を「冬」に擬える句が殆どの中、この句はむしろ「少年」は「冬」なんじゃないか、という。そう「思う」きっかけは「空」。恐らくこの空は、冬の空だろう。自意識が芽生える少年時代、親や先生、友だちなど、他者の承認に気を遣うあまり、他者好みの自分を演じてしまい、自分が自分でいられない。元気そうにしてるけど、内心ではそういうもやもやや、鬱屈を抱え込んでいる。このどんより、冷え冷えした冬空のように。冬は家に閉じこもりがち。少年も自分の中に閉じこもり、家族にさえ本心を容易には明かさない。人生の中でも「冬」に匹敵するほど危機的な時期、それが少年時代、少年の実態なんじゃないか。多分作者も自分の少年時代を思い出して、そう「思」ったのだ。津根元 潮には他に/あるときは蟻のかたちで闇に入る/前の世のその前の世は沙羅双樹/春愁に骨といおうものあるらしき/どちらかといえばくちなしに恋する/はだれ野のわたし不発弾かも知れず/三人が泉を濁し四人去る/人死んで打ち捨てられし白梅酢/など。

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