KUYOMI

2019年08月

「貞女二夫にまみえず」とは、司馬遷の「史記」(紀元前90年)にある言葉。「忠臣は二君に仕えず」に続いて出てくる。多分に当時の儒教や道教臭がプンプンする。俳人はへそ曲がり人種だから、人の思惑なんか何のその、「二夫にまみえずとは愚か」と、あっさり思ったことを言って憚らない。要するに腹が据わっているのだ。作者も「再婚してよかった組」なのだろう。「いい奥さん」の評判を得たいばっかりに、再婚のチャンスを逃すのは、ホントもったいない。「さくら」だって、花も「もみぢ」も二度楽めるでしょ、人間もそれでいいんじゃない、作者はそう言いたいのだ。月森遊子には他に/枯野とは言へぬがけむり見えてならぬ/涙からことばあふれる木の芽季/花木槿きのふの貌がつくれない/鵙猛る少年いまだ諸刃なり/日だまりは神のふところ笹鳴けり/水葬もよからむ箱眼鏡のみやこ/いわし雲海の墓標が見えてならぬ/など。

「月の樹海をゆくように」、これをどう読むかが此の句の肝。「月」にあるクレーターに海や大洋、入江、湖、沼などの名前が付けられているのは知っているが、「樹海」があるという記録はないので、これは彼女の想像上の樹海だろう。或いは月には桂男という絶世の美男が住むという言い伝えがあるので、それからの連想か。そう思っていたら、ヴィドールというアーチストに、出会いと別れまで、エピソードを月ごとに12か月で綴った「月ノ樹海ノカレンダー」という歌があるのを発見!作者ももしかしたらこの歌のタイトルからヒントを得たのかもしれない。「 樹海」は「海のように深い森林」 を指すことば。「月の樹海をゆくように」なので、間接表現や暗喩に富み、解釈に「迷う」様な、意味深な内容の「手紙」だったと想像できる。一読直ぐ意味が解る句と違い、読者の想像力をかきたてる、詩的な香りがプンプンする句。月野ぽぽなには他に/あめんぼう宇宙ぽろんとさざなみす/短夜のグランドピアノ獣めく/陽炎はとてもやわらかい鎖/まひるまの淡き骨格秋しぐれ/傷口に触れないように山眠る/少年の扉やわらかキリギリス/ 春の鳥水平線をつまびくよ/狼の目に中世の風ありぬ/など。              

「羊水」は、暖かくて、命を守るためのもの。片や「冬の地震」は、寒くて、命を脅かすもの。その対照的な二物が取り合わせられている。両者をつなぐキーワードが「揺れる」である。まるで地球そのものが子宮のようだ。胎児は安心して羊水に浮いているのかと思いきや、絶えず揺れる環境の中にいるという事実にハッとする。生まれて来てからの山あり谷ありの動揺に慣れるため、人生の予行演習をさせられているかのようだ。統計がないので何とも言えないが、大事を取り過ぎて安静にしてばかりいた人の子は、その後の人生での浮き沈みに、うまく対応できなかったり、逆に陣痛が起きるまで活発に動き回っていた人の子は、打たれ強かったり、挫折に簡単にはめげなかったりするのだろうか、そんなことも思ったりする。それにしても、「冬の地震」が「羊水」にいた頃の記憶に結び付くとは!作者ならではの特異な把握が、見逃されていた命の本質の、ある一面に気付かせる句になっている。津川あいには他に/塩の手でさはる紙幣や山に雪/墨にじむごときくれなゐ寒椿/海の日や舌で鞣してゐる鯣(するめ)/電柱に鬼泣きし痕春夕焼/死にたれば体に雪と綿詰めて/村中が鰯を干してむしろ惨/滝仰ぐわが一身の地より生え/ひとりそれゆく道ありぬ木下闇/など。

俳句ができない、それさえも俳句にするとは!俳人の魂は、なんてしたたかなんだろう。転んでもただでは起きない。何が何でも一句モノせずには、起きたくないのだ。こうなると何も怖いものがない。矢でも鉄砲でも持ってこい、という開き直った気持ちになる。どんな状況に置かれても、動じることがなくなる。すべてがチャンスになるのだ。俳人が目指すべきは、俳句がただ上手くなって、他者から賞賛を受け、承認欲求を満たすことじゃない。想定外の状況に陥っても、それを面白がる、逞しい精神を獲得することだ。一喜一憂して、状況に振り回されるのではなく、状況をチャンス到来とばかりに、こちらが利用する、それくらいの気概を持つことだ。逆境に打ち負かされるのではなく、逆境を跳ね返し、あの逆境があったから此処まで来れたと、逆に逆境に感謝するくらいになることだ。せっかく俳句をやっているのに、俳句をやっていない人と同じような反応をするなら、俳句をやってる甲斐がない。物事の捉え方、見方は自ずから句に反映される。そうやって自分を鍛えてきた選者は、句の字面だけでなく、その句の精神も読み取っているに違いない。俳句は、今の自分を如実に映しだす鏡、分身なのだ。塚本洋子には他に/いつまでも青い錯覚秋の蝶/いろいろな紐の出ている夏木立/さくらさくらと別のさくらになっている/建国日切り落されしパンの耳/かげろうふに鬼の手足が付いてをり/春の猫出て来いみちのくは真っ白/セロリさくりと清正公さんの話など/など。

「蓮の実」と「写楽の眼」の、一見無関係なもの同士のジャンピングな取り合わせ。「写楽」は江戸の浮世絵師。名前が有名な割には画業は短く、わずか十ヶ月。その後忽然と姿をくらまし、生没年も不明の謎の絵師である。その写楽の役者絵の「眼」が、いずれも寄り目で、「蓮の実」に形がそっくりなことから(参照:「谷村虎蔵の鷲塚八平次」)、「蓮の実」→「写楽の眼」へと、連想が「飛んだ」のだろう。「蓮の実」も飛んでポチャンと落ち、見えなくなってしまうが、そこも画業半ばで姿をくらました写楽に通じる。「遠い」ようで「近い」、関係ないようで、少しは関係がある、まるで取り合わせのお手本のような句。塚本みや子には他に/ファスナーが途中で止まり山笑う/団栗の笑い声する方に落ち/風紋はきっと恋文天の川/春風や少しゆるみし蝶番/空蟬を掃き寄せている黄泉の風/仲直りまず桜餅買うてから/魔術師の口よりひとつ枇杷の種/縄電車傾きながら春野来る/など。

「放哉」は、「咳をしても一人」の句で知られる、自由律俳人・尾崎放哉(1885-1926)。「放哉忌」は4月7日、享年41。東大出で生命保険会社に勤めたが、酒癖が悪く、クビに。その後家庭も財産もうっちゃって、1923年からは各地の寺院で寺男となり、求道と俳句一本の生活へ。25年からは師・荻原井泉水(「層雲」)のつてで、小豆島の南郷庵(みなんごあん)で句三昧、翌年死去した。俳誌「層雲」の同人や近所の人が、何かと面倒を見たらしい。放哉は全く物欲がなく、ほとんど無一物だったが、掲句はそれとは対照的。「鍵束のふくらんでゐる」、つまり物に執着し、それを守るため、鍵のかかった部屋が幾つも持っていることを示唆している。人生の落伍者、世の中の鼻つまみ者となり、散々人に迷惑をかけることでしか生きられなかった放哉。彼がもし人に迷惑を掛けず、世間の常識を食みださず、多数派の価値観に準じた生き方をしていたら、おそらく句は後世に残らなかったろう。世間の思惑からはみ出てでも、リスク覚悟で己の本然を生きる。そうしか生きられない人の句だけが、人の心を掴むのだ。塚田佳都子には他に/雪虫を見てよりやはらかき思考/うぐいすの声を透かせて産衣干す/かなかなが沈む記憶の壺の中/川の名はいつしか変はる遊び船/春潮に投げたき石を選びけり/秋の川跨いで電車停りけり/耳朶に五月の風が立ちどまる/白桃の産毛に残る日の匂い/など。

「枇杷の花」は他の花と比べて、色といい形といい、実に見栄えのしない地味な花である。花=女性に喩えれば、十人並み以下の容貌といっていい。親からもらった生まれつきの容貌は、整形でもしない限り、自分ではどうにもできない。受け容れるしかない。「自分を責めてどうするの」は、そういう中身より外見に拘わり、自己卑下、自己憐憫に陥りがちな、自分もしくは友人への叱咤激励だろう。自分を責めれば責めるほどいじけ、容貌も性格も良くなるどころか、ますます醜くなる。「百害あって一利なし」。どこかで思い切って、自分の考えを切り替えなければならない。派手で見栄えのする花の多くは、枇杷の花のように美味しい実はつけない。言い換えれば、外見に気は遣っても、中身の充実には手を抜きがち。自分が薔薇ではなく「枇杷の花」だと悟ったなら、自分を責め、無い物ねだりをする代わりに、中身を充実させ、外見とは違うところで魅力ある存在、唯一無二の存在になるために、時間とエネルギーを費やした方が、よっぽど得だし、賢い。枇杷は枇杷なりに中身を充実させれば、自ずとそこから自信が生まれる。それが知らず知らずのうちに、外見や性格にもいい影響を及ぼすのだ。中鉢陽子には他に/冬うらら形のちがう握り飯/唐辛子けんかを売りにやって来る/荒星が屋根裏部屋の主です/貨車が行く冬夕焼に突っ込んで/青空に国境はなし草の花/卓袱台の麦湯に若き父がいる/着ぶくれて古くて深い風呂洗う/まだ恋ができそうな夜月見草/など。

「寝釈迦」像という、80歳で亡くなった釈迦を半永久的に残そうとして、硬くて巨大な人工物と、夜咲いて朝には散ってしまう、短命で軟らかい生きた自然物「月見草」との、「生・死」「長・短」「大・小」「硬・軟」「人工・自然」など、少なくとも5つの対比が効いた「もつとも遠い」取り合わせ。「月見草」は繊細な花で、栽培がかなり難しい。釈迦が悟りに至ったのも、決して生易しくなかった。そういう点では、「もつとも遠い」両者が、「遠い」だけでなく、意外に「近い」。「ちがい」が「ちがい」だけで終わらずに、「おなじ」で微かに結ばれる。そこが俳人の眼には、なんとも面白くてたまらないのだ。千葉みちるには他に/国歌斉唱弾けるものにしやぼん玉/岩木嶺や白菜正座してをりぬ/ふくら雀秘めごとひとつ抱へをり/胸中に王国を持つきりぎりす/啓蟄や見覚えのある虫の皃/トルソーに猫まとひつく修司の忌/うしろよりわが名呼ばるるほたるの夜/など。

「臥龍梅」だから、かなりの老木なのだろう。その「紅」色を描写して、「口ごもるような」と形容した。ここに、他の誰も発想したことのない、作者ならではのオリジナリティーがある。この描写だけで、この紅がきっぱりと明晰な紅ではなく、ややくすんだ紅色だということが分かる。紅梅と一口に言っても、その色は黒みがかった茜色からピンクに近いものまで、実に様々。俳人の眼はその微妙な違いを、決して見逃さないのだ。千葉信子には他に/曼珠沙華ぞろりと影をへこませる/まないたの海鼠どこから叩こうか/ほととぎす灰のなかには火の遺骨/魔女消える径いっぱいの犬ふぐり/螢の死だれも返事をしてくれぬ/水中花吹かれ前言ひるがへす/逝きし子にまた打ちかへす紙風船/など。

長い入院経験のある人なら「そう、そう」と共感するのではないか。「病室を移る」ことにも「旅情」めいたものがあることを発見した実感句である。その土地に根付いていないよそ者感覚といおうか、独特の疎外感やしみじみとした孤独感。それが、故郷岩手を出て、北海道を転々とし、後に東京で働き、若くして病を得た「啄木」の実感とリンクする。入院中はやはり医師や看護師、見舞客といった健康な人と、病気入院中の自分との違い、落差を、否応なく意識せざるを得ない。一時的とはいえ、社会からドロップアウトした感も否めない。この感覚がまさしく「旅情」なのだ。千葉浅沙男には他に/暖かや物につまづくまで歩く/柄を詰めし古鎌蓬摘の婆/花冷えやたらたら老の下雫/肩口に物詰めて寝る隙間風/鐘撞いて一山の蝌蚪眼覚めさす/逝く春の風の電話を風が聴く/根の国へ咲き傾くや黄水仙/幼子の臍のごとくに冬芽立つ/など。

「虫の闇」は季語「虫」の傍題。この「虫」は、秋に鳴くキリギリス科の虫(キリギリス・クツワムシ・ウマオイなど)と、コオロギ科の虫(コオロギ・スズムシ・カンタン・マツムシ・カネタタキなど)に限定した「虫」。なのでそれ以外の虫を詠むと、秋の季語ではなくなってしまうので、要注意。昼間鳴く虫の声は弱々しいが、夜になると俄然うるさいほど、力強く鳴く虫たち。「灯を消し」てしまえば、自分自身も闇の一部と化してしまう。寝ながら聴く虫の音は、鼓膜を通して「体内の闇」をも震わせ、満ちてゆくのだ。地原光夫には他に/一番好きな香水を着て風になる/冬晴れて立ち上がる物みな尖る/少年の影連れ歩く糸トンボ/母がだんだん濃くなって来る雪催/血走りし鱈の瞳にある日本海/五月の訃へ暗い水揉む洗濯機/がやがやと春を押し出す保育園/など。

元日の夜から二日にかけて見る夢を初夢と言う。「一富士二鷹三茄子」に代表される吉夢を見ると、一年いいことがあるといわれ、縁起のいい夢を見るため、作者も枕の下に「宝船」の絵を敷いて寝たのだろう。「目覚め」てみたら、宝船に「皺が寄っている」。ということは、おそらく知らぬ間にあっち向きこっち向きして、転々と寝返りを打ったに違いない。夜中に自分がどんな寝方や寝相をしているかは、当の本人には知る由もないが、図らずも「宝船」が自分の知らない自分の寝姿を垣間見せてくれたのだ。知らなかった自分の一面を知る。それも一つの僥倖なのかもしれない。千原叡子には他に/筋なして風の落ち込む芒原/まほろばの天地往き交ふ雲雀どち/夜の新樹より装束の能役者/夜櫻にまじる裸木恐ろしく/幽冥へ去りし論客年忘/椿子に会ひたしと言ひ雛の客/破魔矢手に生田の森を出で来たる/神農の虎のじやけんに振られつつ/など。

「人を愛する」には「寒い」も「暑い」もダメ。密着し過ぎも、離れ過ぎもダメ。テキトーに風通しのよい、「涼しい」が良(い)い加減なのだ。人は誰でも「いつか死ぬ」。どんなにイケズで憎たらしくても「いつか死ぬ」。クヨクヨ気に病んで、そんな奴との嫌な思い出に固執し、奴のために寝ても覚めても思考時間の大半を費やすなんて、馬鹿げている。嫌な思い出を日々自動再生し、自分にストレスを与え続けるなら、自分で自分をイジメるようなもの、自分に日々少しずつ毒を盛るようなもの。誰を愛さなくてもいいが、先ずは自分を愛してほしい。自分を愛する方法さえ知らない人が、他者を愛する事なんか出来っこない。「復讐するは我にあり」の「我」は、人ではない。他の生きものの命を、日々奪わずには生きていけない私たち。その原罪も含め、全ての罪は臨終のとき、死をプログラムした者によって清算されるのだ。茅根知子には他に/手鏡の中にひろがる青葉闇/夕立のあたりより来る電話かな/あくる日の光の中へ夏の蝶/身体から少し浮きたる革コート/朧夜を魚のやうに歩きけり/東京が瞬いてゐるクリスマス/階段の動きつづける寒さかな/野遊びの始まつてゐる膝頭/など。

「世」の「こんとん」を「表側」だとすると、、「葱畑」の整然と秩序ある様は「裏側」である。無秩序と秩序、相反するものを対比させ、取り合わせている。カオス、無秩序は虫でいうと蛹の状態。しかしそのドロドロに溶けた無秩序から秩序ある虫が生まれる。カオスは秩序の母胎なのだ。世界は、宇宙は、大自然は、裏表、陰陽など、相反するものの共存である。一方を否定すれば、他方も存在できない、相互依存の世界。自分と全く正反対の価値観や、考え方、感じ方、それを認め合ってこそ、自然に即して生きていると言えるのだ。伊達みえ子には他に/さかさ睫毛抜いて八月十五日/ふきのとうひいふう明日の風が吹く/ラムネ玉昭和の空の鳴りつづけ/糸切歯いまだ健在虫すだく/蟬の穴のぞけば被爆の16歳/長考かうつらうつらか山椒魚/雪女来ておりピアノ鳴っており/素手で掘る防風隠れ切支丹/など。

「少年を犯した」だなんて、昔ならいざ知らず、今なら立派な犯罪だ。恐らく視姦程度のことだろうが、それでさえ口に出して言ってしまうのは、かなり勇気が要る。自分だけが知っている、決して品行方正ではない内づらの真実。それさえ隠さず句種にするなんて!人間という自然の実相に、自分を定点観察することで肉迫しようとする、まさに俳人魂がここにある。「みかん」なら甘酸っぱいが、「少年を犯したあと」は、ひたすら「夏みかん」のように、苦く酸っぱいものが残るだけなのだ。伊達甲女には他に/萩繚乱そろそろ夜叉になるつもり/交響楽「黒船」さくら吹雪くなり/人間に生まれ蜜吸う涼み台/囀のはじめは小さな噂から/無位無官なれど見送る神の旅/鉄砲百合の射程距離内の猫/刀なら磨ぐ月光のしずくもて/色鳥を呑み込み屋形船発てり/など。

「昭和の日」は4月29日、昭和天皇の誕生日にあたる。昭和20年までは戦争に次ぐ戦争の時代であった。「人間を甲乙丙丁」、これは明らかに徴兵検査の等級を指すのだろう。身体検査、体力検査、視力、聴力検査、肺病や性病などの病気の有無、身体欠損、肢体不自由などにより、甲・乙(1・2・3)丙・丁・戊(ぼ)の七段階にランク付けされた。どの等級に属するかが、結婚相手を選ぶ際の決め手にもなっていたようで、甲種合格者はそれだけでもてたらしい。福沢諭吉の『学問のすすめ』冒頭には、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」とあり、万民平等が説かれている。しかしその後を注意深く読むと、、世間では貧しい者や豊かな者、賢人や愚者、身分の上下もある。こうした差はいったいどこから来ているのか。それは学問の有無である、と書かれている。そして、欧米列強の植民地にされたアジアの地域や、侵食されつつある清国の話題から、このように異国に支配されたくないなら学問を修め、国を豊かにし、力をつけるしかないと、続く。日本の軍部の、今ならパワハラで確実に訴えられる暴力体質、戦略の読みの甘さ、自己過信、情報操作、事実改ざん、隠蔽体質など、戦後その呆れるほどのお粗末さが露呈したが、外見重視、中身軽視の人間の等級化が、その体質の根底にあったのではないか、そんな気がしてならない。丹下美井には他に/八月を揉み消す男波女波かな/救心が机の上に去年今年/桃の花少年に老い始まれり/神経に触れないように秋桜/蟋蟀の身体削る音がする/木の株に源二の匂い小鳥来る/月光へ流浪始める白マスク/太陽を生け捕る冬の縄を綯う/裏口の恋猫に置く力水/など。

「最果て」だから、北極や南極だろうか。そこに「地球の皮膚呼吸」が出した水蒸気が集まり、「凍て」ているのだ、と言う。明らかに地球を単なる物質ではなく、一個の新陳代謝する生命体と捉えている。人間は主に肺で呼吸し、酸素や二酸化炭素や水蒸気を出し入れしているが、蚯蚓や蛭などの虫、蛙などの両生類、又鰻などの魚類は、その多くを皮膚呼吸に依存している。植物の多くも葉っぱで呼吸しているので、ある種の皮膚呼吸に近い。地球そのものも、太陽の熱を吸い、海や川の水を蒸発させ、大気の循環を促すので、確かに「皮膚呼吸」していると言える。俳句はついトリビアな些事の発見を詠みがちだが、わずか十七音に、こんな地球大の大きな世界観をも盛り込めるのである。樽谷俊彦には他に/いろんなことがありまして海鼠です/兄の声妹の音小鳥くる/孕ませし鯨大きな虹を吐く/木枯やわたしが魚であった頃/蛇になる少年蛇を飼う少女/蚊を叩く掌大き過ぎまいか/古傷の混っていたる蝌蚪の紐/天空の未地をさまよう金魚玉/など。

「秋彼岸」は九月二十三日ごろの秋分の日を中日とする、前後合わせて一週間。墓参りに行き、寺の鐘にこの字が彫られているのを見つけたのだろう。「兵戈無用(ひょうがむよう)」は「兵士も武器もいらない」という意味の、釈迦の言葉(『仏説無量寿経』冒頭)。戦時中、金属を輸入に頼っていた日本は、武器や戦闘機を作るための原料が不足し、それを補うため、急きょ金属類回収令を出した。銅像や寺院の梵鐘、家庭の鍋や釜、ネックレスや指輪、ブリキのおもちゃ、果ては文化財を含む多くのものを、半ば強制的に供出させたのである。なので刻文の意味からも、この鐘は戦後作られたものだということが分かる。武力で物事を決しようとする戦争が、いかに愚劣で頭の悪い方法か、人類はイヤと言うほど知っている。しかし、「解っちゃいるけど、やめられない」のも人間である。根底に権力欲や金銭欲、支配欲、憎しみ、復讐心があるので、何度失敗しても、経験から決して学ぼうとしない。悲しいが、それが人間の紛れもない一面である。釈迦は生老病死の四苦を説いた。生きることそのものが「苦」であり、生きている限り「苦」からは逃れられない。その「苦」は、多く人間の愚かさに由来する。自他の愚かさとどう折り合いをつけるか、それが此岸にいる者共通の課題であり、その課題と取り組む過程で、人間の美質が発揮されるのだ。田湯 岬には他に/山姥が深き闇へと神の旅/擬宝珠の花散り尽し一揆村/玄帝の画廊は白と黒の木々/道おしえ酒呑童子の待つ罠か/斑雪野に生まれるまだら色の風/屋根裏に別な所帯の嫁が君/我もまた尾燈のひとつ秋の暮/星空を残し花火師去りにけり/など。

遠近の錯覚を利用した、トリック写真の手法の句。俳人の俳人たる所以の一つは、唯一無二の自分、その独特で特異な感じ方を、臆面もなく押し出すこと。「みんな」がどう感じるかは、はっきり言ってどうでもいい。自分がどう感じるか、どう感じたかが、俳句では唯一絶対である。なので、自ずから見る角度、視点も、他の人が見ない角度や視点から見ることになる。掲句のように、「月」を崇めるだけではなく、時には「ねころんで」「手玉に」とってみる、そういう遊び心、童心が、俳句を読む読者の心をも、自由にし解放するのだ。田村 實には他に/榾を折るどの木で風の叫ぶやら/ゆりの木の花を見上げる初対面/ひつそりとやがてずつしり葛の花/トーストを焦がす総立の朝蟬/方言放つ橋のない雪解川/ときめきをたかぶらせてる桜の芽/残雪を融かしてゆきぬ母子の歌/など。

「三すくみ」は、三者が利害拮抗、互いに睨み合って身動きがとれないこと。「啓蟄」は、三月の五日ごろ、地中の虫が動き始め、表に出てくること。「啓蟄」(動)なのに、三台あるエレベーターが止まったきりで動かない(静)、つまり虫は活動的なのに、人間の方が引き籠って、エレベーターに乗るほどの人が出てきていない、それを暗に示唆しつつ揶揄した句。動と静の対比のほかに、生物とエレベーターという無機物との対比も隠されている。「エレベーターが三台止まっている」では詩にならないが、「三すくみしてゐる」と比喩表現にすることで詩になった。田村みどりには他に/こんにゃくに背鰭つけよう春隣/千三百カロリーに小匙一ぱい秋を足す/抽象をはみ出してゐる春の猫/朕といふかげろふの島身のうちに/膝打つて次の日晴れる黄水仙/菜の花に手をあげ天神様通る/虹立ちぬ山のてつぺん叩くとき/など。

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