KUYOMI

2019年07月

過疎から廃村への流れが止まらない。人が住まなくなったのをこれ幸いとばかり蔓延るのが、北米原産の「泡立草」だ。1964年の東京オリンピックの際、輸入した木材に付いていた種子から爆発的に殖え広がった。よく似ている草にブタクサがあるが、別種。泡立草は虫媒花だが、ブタクサは風媒花。誤解されているが、花粉症の原因になっているのはブタクサの方である。泡立草の根からは他の植物の生長を阻害する化学物質が出ている。そのために、付近は泡立ち草の一人勝状態となる。この作用をアレロパシーという。しかし驕れるものは久しからず。大繁殖の後、その地の栄養分を吸い尽すと、やがて泡立草は自滅の運命をたどる。癌が宿主と共に死ぬのと一緒だ。掲句の村も一人減り二人減りして、遂に廃村となったのだろう。「泡立草」が村の死を、明るい黄色の花で告げているのが、なんとも切なくて侘しい。谷川彰啓には他に/たんぽゝをつかむ隙間の由布盆地/死者・生者指紋のすべてかげろうに/秋時雨触れてはならぬ水子の手/美術館へ椎の実ひとつ持ち歩く/かげろうとなって他人の列に入る/吾もまた枯野の景として歩く/八月六日とべない鶴をひとつ折る/など。

「美しい」もの・ことを描くのが文芸だが、何をもって「美しい」と思うかに、その人が出る。掲句の作者は、少なくとも表面的な「美しさ」を「美しい」とは思っていない。彼の詩人の心は、むしろ命そのもの、自然な状態を「美しい」と思っている。人生における「冬」は老年期の比喩だが、心理的に一番厳しい、いってみれば「冬」のような局面に立たされるのは、老年期よりむしろ思春期だろう。それも「中学」時代だ。その揺れ動く心理の反映が「散らかっている」である。心と体のアンバランス、不安定な心理状態、自分で自分を持て余す、そんな内面が自ずと外に現れ出るのだ。昆虫も蛹の段階では中身がドロドロ、渾沌そのものである。その「自然」な段階を踏むこと無しに、成虫になることは出来ない。むかし元服は数えで12-16歳だった。人間にとっての蛹の時代は、まさに中学時代なのだ。谷 佳紀には他に/忘れっぽいとか夜が明けたとか曼珠沙華/きれいなあなた腹の底から雪を話す/水仙にどっしり暗い日本海/噛んだ耳蛙になって跳ねている/山百合の向こうギラギラ破裂しそう/天高く落ちたくなった池がある/墨磨ればふくふく梅雨の樹木たち/など。

「寒肥」の「袋」が「うすももいろ」だった、ただそれだけの句。しかし作者がその色に心を動かされたことは、読み手にもしっかり伝わってくる。俳句は、その時々の作者の心の揺れの記録。自分でも、なんでそんなものに「おっ」と感じ入ったのか説明できない。けれど、動いたのは確かなのだ。理由は後付け。おそらく肥料を入れる袋に美しい「うすももいろ」という「取り合わせ」が意外過ぎて、すんなりと結び付き難かったのだろう。肥料のように臭いもの、キレイとは言えない物を入れるのに、色なんかどうでもいいじゃないか、と先入観では思っていたのかもしれない。しかし人間は実用だけでは生きていない。肥料の中身にさほど差がなければ、見た目、パッケージが、買うか買わないかの決め手だったりする。肥料を売る側も、そういう人間心理、消費者心理を研究し、少しでも他社と差別化し、「おっ」思わせ、自社の肥料に買い手の手が伸びるように日々工夫しているのだ。如何に人間が視覚優位の生きものか!それを痛感し、再認識した、それを具体で提示したのが、この句だ。谷 雄介には他に/夏芝居先づ暗闇を面白がる/先生の背後にきのこぐも綺麗/空中のA氏飛び去る夕餉どき/ブラジャーの寄せて上げたる淑気かな/半島に巨人の精子降りしきる/封筒の内側青し夜の秋/JFKの骨片に冬来たりけり/東の茫洋として鶏頭花/など。

詩は、「ちがう」二物の間に「おなじ」でもって橋をかけること。では「刀身の眠り」と「冬の川」はどこがどう「似て」いるのか。どこがどう「おなじ」なのか。それは、見かけは静かだが、人の命を奪う危険、死の可能性を秘めているということ。それを見抜く、その発見ができるのが詩人の眼だ。谷 花毬には他に/低い空どこを突いても雪こぼす/外套の昭和てくてく遠ざかる/数え日を串ざしにして救急車/逃げ口のようにトンネル十二月/秋灯や男にはなき泣きぼくろ/塩ふって主婦の歳月漬け込みぬ/いわし雲もう地図になき本籍地/など。

「揚羽もわれも可燃性」、確かにそうだけれど、この「可燃性」への飛躍が凄い!「生きているもの」はすべて「可燃性」という点では同等であることに改めて気づかされる。詩人の感性は、「ちがい」の底に「おなじ」を見つける。それを見抜く力、透視力が異常に長けているのだ。「可燃性」への飛躍をもたらしたのが、「雲が湧く」の、煙につながるイメージだろう。ちがいのなかに似たもの、つながりを見つけ、接点を付ける、これが詩だ。谷さやんには他に/わたくしも本もうつぶせ春の暮/露草のホントは白といふ秘密/福引の白が気の毒そうに出る/牡丹雪へこたれそうな長電話/夏の雲搭乗券を栞とす/鳥よりも鳥籠欲しき冬はじめ/行く夏のテレビのような窓ひとつ/さわやかに観音さまへ切る十字/など。

三好達治の詩に「馬鹿の花」という詩がある。「馬鹿の花」は別名「浜香(はまごう)」といい、浜辺を茎が縦横に這いまわり、群落をつくる落葉低木。7月から9月にかけて青紫色の花をつけるが、その名の通り花も葉も茎も、果実に至るまで芳香がある。全草に薬効があり、漢方名は蔓荊子(まんけいし)。滋養強壮、消炎、解熱に効く。煮出して入浴剤にすると、神経痛、腰痛、筋肉痛、肩こり、冷え性など、痛み全般をやわらげる。他にも、枕に乾燥した実を入れて芳香剤にしたり、実に用途多様な有用植物なのだ。そういう有用植物が「漁のなき浜に根を張」っている。せっかく薬効があるのに、いたずらに蔓延り、漁師の疲れた体を癒すわけでもなく、宝の持ち腐れのようにただ咲いている。そこに「馬鹿の花」の名前の由来、その一端を感じとったのかもしれない。棚山波朗には他に/龍宮の花の屑なるさくら貝/永き日や自画像はみな押し黙り/錆びてより山梔子の花長らへる/糞集む役ゐてチヤグチヤグ馬コかな/蒔くつもりなき朝顔の種を採る/ゆく秋や筆談に無の一字のみ/黒糸で眼縫はれし囮の鵜/瓢箪の尻に集まる雨雫/など。

言われてみれば「なるほど、そうかも」の句。人生は生別死別、出会いと別れのつづれ織りである。「さよならだけが人生だ」が人口に膾炙するようになったのは、唐代の詩人于武陵の「勧酒」の一節「人生足別離」を井伏鱒二が名訳してから。その「鮮度」の度合いと「吾亦紅」の「紅」の度合を重ねている。「吾亦紅」はやや焦茶に近いくすんだ赫。なのでここで詠まれている「別れ」は、やや時間の経った「別れ」なのだ。田浪富布には他に/姫はじめ以後やっかいな美学かな/地球儀が自転しそうな寒月光/鶏頭のごつんと立てり低気圧/火のような羞恥に揺れて曼珠沙華/白たんぽぽ愛は土星の輪のように/わらわらと群れる老人栗の花/鍵盤に月が零した青い韻/一心に白地図を這う蝸牛/など。

離れて住んでいると、また仕事や子育てなど、目先のことに忙殺され、一日があっという間に過ぎる程せわしないと、生みの母親とはいえ、その存在をすっかり忘れてしまい、頭に思い浮かべることもないまま、幾日も過ぎてしまうことがある。作者も、何かの拍子に「引出し」を開けて「母」の写真を見つけ、自分が殆ど「母」のことを思うことなく、日常を送っていることに気付いたのだろう。母親が元気でなければ、こうはならない。病気だったりすると、忘れたくても忘れられないからだ。また、マメに電話や手紙をよこし、自己アッピールするような母でもないことは、季語「おぼろ夜」からも推察できる。今どんな暮らしをしているか、どんな健康状態かなど、下手に知らせれば娘が要らない心配をすることが解っているので、何も語らない「おぼろ」にしているのだろう。それも子を思うがゆえの親心。いたずらに心配をかけない、その押しつけがましくない愛のあり方に、親として子として共感する。棚橋麗未には他に/ホタルと同じ水の匂いのおじいちゃん/胡瓜もむ母のすべてがやわらかい/ストローで一気に夏を吸い上げる/酢を少し垂らす師走の暗がりに/遠ひぐらしふところという闇もある/人間になりきっている座禅草/やわらかく抱く春キャベツの不安/など。

「女の靴が離れて脱いである」、だから一拍「 」空けて「さくら」なんですね。お花見は無礼講だけれど、無礼講だからと油断していると、見ている人はちゃんと見ている、というわけ。おお、こわ!雑に脱ぎ捨てられていたのが「女」の靴だったから、よけい気になったんだろうね。「へ~、この人ってこんな人だったんだ」という、ちょっと失望したというか、意外というか、それまでの敬意がちょっと薄れるというか、そんな感じが伝わってくる。靴の脱ぎ方には、その人の性格が、日常が、時には本性が、うっかり出てしまいがち。きちんと揃えて脱ぎ、さらに後から履きやすいように爪先を外に向けておく用意周到な人もいれば、靴が離れていようが、どっち向きだろうが、そんなことには全く頓着しない大らかな人もいる。こういう処に目が留まるということは、俳句で日ごろ観察、写生をして、トリビアなものについ目が行く、気になる、そういう癖がついているからだろう。神経が否応なく細かく研ぎ澄まされているのだ。仕事はシビアなので、なあなあまあまあではやっていけない。正確さ、抜かりのなさが要求される場面も多い。会社のトップは、こういった無礼講の場で、社員の言動や振舞いを、実は観察しているらしい。靴の脱ぎ方も、きっとそれとなくチェックして、裏通知簿のようなものに付け、きっと人事の参考にしているのだろう。田中 陽には他に/月にさわってきて妻の横に寝る/妻を更けさせつくつく法師聴いている/雨を女が帰るとにわかに深くなる秋だ/長崎の日です蟬をおさえた声がする/怒りの椿として真っ赤に落ちる/ヒロシマを歩いた靴ずれを愛している/など。

字足らずのように見えるけど、数えればきっちり15音ある。身一つで、移住のために長距離を旅する白鳥、驚異である!ニンゲンの引越しは、こうはいかない。万が一に備えて、あれもこれもと、つい物を増やしがちだ。ヒトが定住生活を選んだのは、もしかしたら大量の所帯道具をいちいち梱包し、運び、設置する、その手間が煩わしくなったからかもしれない。身一つだから、いつでも行きたいところへ行ける鳥たち。物が増えれば増えるほど、ヒトは身動きできなくなり、不自由になっていくのだ。田中雅秀には他に/しこり持つ左の乳房古代蓮/をはるべき恋とアゲハの通り道/白鳥来ただ真実を告りたまへ/紅葉かつ散る乾電池切れるまで/薪くべる誰かとつながっていたい夜/春泥のグランド変声期の末だ/夏野かな何もしないという理想/白鳥の声する真夜のココアかな/など。

「秋の灯」がフライパンの中で「はねてゐる」という、本来、跳ねないものを跳ねさせる、この擬人化的表現、描写が斬新だ。チャーハンなのか、野菜炒めなのか、一読煽られて、食材が油で光りながら跳ねあがる様が目に浮かぶ。「フライパン」という日常使いの、情緒にやや欠ける調理器具と、情緒たっぷりの「秋の灯」の取り合わせが、何ともいい。暑い時にはついさっぱりしたもの優先で、敬遠しがちだった油炒め。涼しくなって少しこってりしたものが食べたくなったのだろう。作りながら昂揚する作者の気分も伝わってくる。出来上がった料理も、きっと美味しいにちがいない。田中冬二には他に/古利根のとある宿屋のつくし飯/春愁を赤きポストに投函す/機関車の蒸気すて居り夕ざくら/雪女郎の銀の簪拾ひたる/鱈売り女雪女郎となりにけり/梅雨の夜や妊るひとの鶴折れる/夏山のかぶさつてゐる小駅かな/など。

これといった意味の無い、いわゆる無意味句のように見える。季語「唐辛子」以外、「お、ちょうど十二音だ。嵌めちゃえ~」、とばかり、「さあてこれからどうするか」を、お手軽に嵌めたように見える。「唐辛子」のきゅっと引き締まった緊張感のあるイメージと、「さあてこれからどうするか」のゆるい感じの、なんとも絶妙な対比が、この句の味にもなっている。しかしそれだけだろうか。もしかしたら「唐辛子」に匹敵するような一身上の辛い経験、例えば年齢もかなりいってから、突然会社が倒産、もしくはリストラに遭ったとか、大病を患ったとか、妻に先立たれたとか、窮地にある人の心境と詠むと、「さあてこれからどうするか」は、かなりシビアに追い詰められた人の、心境の吐露ということになる。心に構えや拘りがあったり、余裕がないと、こんな句は作れない。つい深刻な描きぶりになってしまうからだ。俳句に馴染めば馴染むほど、どんどん気持ちが大らかになり、ちょっとやそっとでは動じなくなる。ハプニングを面白がれるようになる。達観の「軽み」が身についてくる。それが、俳句の余得なのだ。田中不鳴には他に/もう誰もいないラムネの玉鳴ッて/七月のベルトコンベアーから無精卵/何処にでも大股でゆく神の留守/落葉降るこの世の音をみな消して/立雛の百年立ってまだ立っ/蟻出でて幾何学的に歩きだす/風鈴のどこかで鳴っている昭和/など。

「電車」に対して「臆病な」という、擬人系の形容詞が付いたのを初めて見た。この予想外の、実感を伴う言葉との出会いが、まさしく俳句!春になって水蒸気が空気中に増えると、昼間でも霞み、高層ビルや、観覧車の上半分が雲の中に入ったように見えなくなったり、スカイツリーなども、塔の上部は雲の中ということがしばしばだ。まして「朧」の夜は、見通しが悪い。視界数メートル、「電車」が徐行運転するぐらいの「朧」だったのだろう。「さがす」だから、徐行運転でなかなか着きそうもない電車を、音か僅かなヘッドライトを手掛かりに、今か今かと「さがす」乗客心理、その中の一人として作者の姿も見える。電車の遅れにイライラする暇があったら、こうやって一句モノにする。俳人にとって、ピンチはまさに千載一遇のチャンスなのだ。田中信克には他に/からくりの骨を見ている石蕗の花/きさらぎやいつもうしろにいる「花子」/初夏の少女やさしく鐡を焼く/青梅を噛めばひとりの秋津島/少年に電波もどらぬ麦畑/泣かぬ子と海を見ている曼珠沙華/絵姿の君がゆらりと油照り/など。

「だらだらと物を食う」が俳句になるなんて!これこそ常識破りの句。「俳句は何でもアリ」を、腹の底から信じていないと、こんな措辞は出てこない。五月でも七月でもない、ある意味中途半端で、天候もぐずつきがち、輪郭線がぼやけた、狎れ合いな感じの月、「六月」。「だらだら食う」がこんなに似合う月も無いのではないか。田中朋子には他に/とれそうなボタン雨から雪になる/ぶらんこを小さく漕いで人見知り/牡蠣殻を重ねて人を好きになる/一日を粗削りして十二月/冬の月となりの席が空いている/豆撒きの豆の一粒サハリンへ/字余りのような叔母です夏座敷/など。

漫画家水木しげるは出征先のラバウルで左腕を失った。帰ってきて、右手一本で戦争体験を踏まえた漫画を数多く描いた。しかし彼は戦争反対の正論を一度も言わなかった。しかし戦争物を描いている時に彼を突き動かしていたのは、戦死者の無念が乗り移ったような、自ずと生まれる怒りだったという。掲句の「吹雪」は、この怒りの象徴だろう。この地球上に戦争の無かった年は、数えるほどしかない。生きるということと戦争は、分かちがたく結びついているのだ。田中千恵子には他に/国会へ登校エチゼンクラゲのようなもの/戦争を托卵しあうホトトギス/流氷に乗り軍服の父がくる/花吹雪また戦争がかくれんぼ/したいしたい戦争がしたい浮いてこい/あじさいの八変化して臨界死/百歳の真ン中色のシクラメン/など。

「くらげ的」だと比喩なので、季語としては弱いと、頭ガチガチのわけ知りはすぐ言うだろう。それを承知の上で、敢て「くらげ的」と言っているのだ。なぜなら読者は、「くらげ的生き方」がどんな生き方なのかを理解するには、否が応でも「くらげってどんな生き方してるんだっけ」と、「くらげ」そのものの生き方を、まず理解する必要に迫られるからだ。つまり一種の逆説として、「くらげ」が堂々一句の主役になるというわけ。「くらげ的生き方」が、他者に「悪しからず」と言わなければならないということは、必ずしも他者が諸手を挙げて賛意を表明する生き方ではないということ。のらりくらりで掴まえどころがないのか、時々毒を含んだ言葉の棘でチクリとやるのか、波任せで定見がなく、いい意味で柔らか頭、考えがすぐ変わるのかもしれない。季語を比喩的に使ってはいけない、という定見も、だから破ってみせたし、破ってみたかったのだ。この気概、この精神が、まさに俳人である!田中妙子には他に/かなぶんぶんいずれにしても夜は明ける/てのひらのひろびろとあり晩夏光/誰にでもやさしい奴に雪礫/鳥雲に 昨日の嘘をどうしよう/銀河置く天の暗さを湖に張る/満月やどこかの窓がサスペンス/菜殻火をはなれし胸に夜は曇る/など。

「夫を無視」などという、身も蓋もないこの措辞、出そうでなかなか出ない。そこがまず大胆だし、捉われの無い作者の解放された心を感じさせて、なんとも俳句的である。男は意外とデリケート。「無視」だけでも傷つくのに、その上にこれ見よがしの「爪立てて剥く夏蜜柑」である。食べるのは当然妻だろうが、食べない夫の方こそ、酸っぱさ、苦さを噛みしめるのだ。田中周利には他に/にんげんは何んでも喰うぞ蛇遁げよ/毛虫ゆく強い味方の妻連れて/浮いて来いチンポコ洗う保育園/青大将男生まれぬ家を去る/折鶴に瞳なし枯野を見せずす/味気ない男が通る猫じゃらし/など。

「冥王星消え」は、実際の冥王星は実在しており、消えたわけではないので、おそらく「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」の、従来の太陽系惑星から外れ、準惑星に格下げされたことを指すのだろう。太陽系惑星の定義及び条件は、①「太陽の周囲を公転していること」②「十分な重力と質量があり丸い形をしていること」③「軌道の周辺に類似した大きな天体が存在しておらず、圧倒的な存在感があること」。この③つ目の条件に関して、2005年、冥王星より大きく、太陽に近い場所に、「エリス」という天体が軌道近くに発見され、冥王星はエリス共々惑星から準惑星に格下げされた。植物で「冥王星」に相当するのが在来の植物。「エリス」に相当するほど存在感を増しているのが、北アメリカ原産の帰化植物「セイタカアワダチソウ」、ということだろう。のさばる「セイタカアワダチソウ」に在来の植物がどんどん追いやられているだけでなく、のさばるアメリカの言いなりに、日本という国のアイデンティティが増々浸食されてゆく、政治権力の事情も二重写しされている。田中悦子には他に/春遅々と先の詰まりし醤油差し/蟻の列海割れる日を待ちており/陽炎を溺れどの手を掴もうか/ふる里に西瓜を冷やすだけの井戸/ジョーカーの捨て時逸す夜長かな/ブラックホールへ吸われ行く花見客/体内にくらき部屋あり女正月/など。

「ぎしぎし」は、生命力の強い大型の雑草で、スイバに似た草である。荒れ地や道端、河川の土手、あるいは湿った原野などには必ずと言っていいほど生えている。いかんせん、花が小さく、しかも緑がかっているので、丈高く沢山咲く割には、地味で、人目を惹かない。まさに「生れた日からエキストラ」の草である。しかしこのような草にも存在価値はある。グラウンドカバーとして、土が異常乾燥するのを防いだり、若い葉は茹でればお浸しのように食べられ救荒食物になる。太い根は、皮膚病(湿疹、かぶれ 、水虫、たむし、かいせん、しらくも、かゆみ、ただれ など)や便秘、胃痙攣、耳痛、胆汁の分泌促進や止血、抗菌、滋養強壮などの薬になる。かなり有用な存在なのだ。映画でも、主人公を引き立て、場面に生気やリアリティを与えるために、通行人やレストランの客、群衆など、多くのエキストラが起用される。主役の陰で、日の当たることは殆ど無いが、ある程度の演技力が求められ、作品の成功に欠かせない、大事な役割を与えられている。人間世界も同様。目立たなくとも有用な働きをしている、おおむね「ぎしぎし」のような、その他大勢の人のお蔭で、この世界は廻り、成り立っているのだ。田中いすずには他に/ごはん食べ涙出てくるからだかな/すぎなが先頭雨上りのおばあさん/曲線のひるむことなき寒卵/烏瓜あそびたりない赤さかな/アスファルトの道を選んだ蟬がいる/柿たわわ小学校が建ちそうだ/ヤゴの背中に精神が見えてくる/など。

「菅江真澄」(1754-1829)は江戸時代後期の旅行家、博物学者。三河(愛知)生まれで、尾張藩の薬草園に勤め本草学、医学を修めた後、30歳で一念発起、信越地方を皮切りに、東北各地、北海道にまで足を延ばし、秋田で没するまで、各地で仕入れた様々な分野の知識を記録、多くの絵入りの紀行文を残した。「菅江真澄の頭痛薬」も、本草学に明るい菅江真澄が薬草を調合し、頭痛薬として民間に広め、今日にまで伝わっているものだろう。「秋蝉」は羽化の時期が遅くて、立秋(8月8日頃)以後、涼しくなってから鳴く蝉のこと。真澄は年中、寝る時も頭に頭巾を被って寝ていたらしいので、もしかしたら彼自身頭痛持ちだったのかもしれない。頭痛薬に使う生薬の呉茱萸、生姜、人参、大棗はいづれも血行をよくし、体を温める効果がある。「秋蝉」の鳴く声を聴いて、作者もこの頭痛薬とその効能を思い出したのかもしれない。舘岡誠二には他に/ふるさとの火種をもらい渡り鳥/ゆきずりに野武士のような蕨狩り/ナマハゲの藁をつかんで眠る海女/名刀展見てみちのくの早い冬/喪が明けて田植えの足を拭く女/釘ひろう癖の男が雪の原/雁が来る同姓村の絵ろうそく/雁が音や姑の遺した湿布薬/など。

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