KUYOMI

2018年12月

花見の宴で、新妻か婚約者なのだろう。酒を飲んだか、癇に障ったか、何かの拍子に性格の悪さが露呈したとみえる。いつの時代も「悪女」タイプに弱い男は絶対数いる。「家系図」が出てくるところを見ると、それなりの家柄なのだろう。こういう名のある家に限って、男はぼんぼん育ち、結果悪女の手練手管の術中に落ち、家系図を穢す。「悪女」にはさまざまな定義があるが、大雑把に言ってしまえば、自己中で冷血、人を不幸にすることに良心の呵責も罪悪感も感じないばかりか、快感でさえある、そういう女のこと。こういう「悪女」になぜ男が魅かれるかというと、容姿端麗で、男に媚びず、演技派で、男性心理を利用して思うように男性を操る知能犯だから。利用価値のある男、自分の得になる男にしか近づかないから、金持ちは要注意だ。木村正光には他に/ビルがみな墓石に見えるつちぐもり/引鴨や孫に問わるる虹の裏/足腰の弱き虹立つ師走かな/風船も連れて親子の土筆摘み/蕗のとう出でて夜明けの心地なり/むつみ月拾いたくないものに櫛/泥生きて椋の実を今押え込む/など。

「たんぽぽの絮」という小さなものと、「国生まる」という大きなものとの「取り合わせ」。「たんぽぽの絮」は風に乗り、偶然落ちた先で芽を出し繁殖する。その繁殖力は強力だ。『古事記』の「国生み伝説」によると、イザナミ、イザナギ二神によって最初にオノコロ島が作られ、そこで夫婦の契りを結んだあとからは、淡路島を初めとしてたくさんの島々が作られ、いわゆる「大八島」=日本ができた。今現在日本には島が幾つあるかご存知だろうか。実に8600を超える大小様々な島がある。日本が島国と言われる所以だ。「たんぽぽの絮」が飛んで、ありとあらゆるところで芽を出すのとそっくりな現象が、日本の島の数にも起きている。最近では小笠原の西之島もできた。沖縄を含む琉球列島も、戦後アメリカから返還されて日本の領土となった。国後、択捉、歯舞、色丹の北方領土も、将来いくつか日本に返還されれば、又日本の島の数は増える。たんぽぽが増殖するように、日本の島の数も、成長途上、増殖中なのだ。木村真魚奈には他に/貌のある機関車はしり鰯雲/擦れ違ふ人の残せし春の闇/幾度を更衣して母死せり/積雪に埋もれてゐたり織の音/すすき野や径にころがる乾電池/冬の虹指の尖より昏れてをり/丸ごとのレモン喰みしめ虚なり/など。

洋物の「アロハ」と和物もしくは唐物の「竜虎の軸」の取り合わせ。フリマか我楽多市だろう。思いがけない古いものが、現代的な調度品と隣り合っていたりするので、下手な自然を見るよりこちらの方が、俳句になりそうな意外な「取り合わせ」が沢山見つけられそうだ。人は見かけによらない。アロハシャツを着ているからと言って、骨董や風流に疎いというわけではない。鑑識眼が無ければ贋物を掴まされ大損をしてしまう。それなりに勉強もし、見る眼もあるに違いない。あるいはこの「アロハ」の男は、単に親の遺品を売り払おうとしているのかもしれない。おそらく親はそれ相応の値段で買ったのだろうが、価値の分らない息子から見たら、ただのガラクタなのだろう。日本文化の特徴は編集力にある。和魂漢才、和魂洋才というように、外来文化を日本風に換骨奪胎し、自己薬籠中のものに創り変えてしまう。分り易い例でいえば、タラコスパゲティやアンパンなどがそうだ。「竜虎図」は元々中国のもの。橋本雅邦をはじめ日本の画家たちが模倣して描き始め、各種流布しているが、無名画家の模写、贋作も多い。「アロハ」を着た彼が、露天で売っていたのも、もしかしたらその中の一枚だったのかもしれない。「竜虎図」の竜は空想上の、虎は実在の動物。両者相俟って権力が富み栄えることを表した。従ってこういう絵を飾ろうとする人は権力志向の強い人と言える。しかし今、権力志向の人は少なくなった。若者たちの多くはささやかな社会貢献をしながら、食うものに困らないだけ稼ぎ、好きなことをやり、できるだけ穏やかに暮らしたいと望んでいる。売れ残ったのも、そういう時代に「竜虎図」は合わなくなった、ということを示唆しているのかも知れない。木村蕪城には他に/おるがんの鳴らぬ鍵ある夜学かな/きさらぎや白うよどめる瓶の蜜/天龍のひびける闇の凍豆腐/法華経の一品を手に花疲/十五夜と黒板に書きしるすのみ/あぢさゐに潮さわがしくなれば雨/雲飛んで蟷螂石にあらはるる/など。

「春愁」と「ホルスタイン」の珍しい取り合わせ。「春愁」は、体調を壊しやすい季節の変わり目に加え、多くは進学、転勤など、環境の激変により、別れや新たな人間関係などに、生活のリズムや体や神経を馴染ませようとして、ある種の「無理」を自分に強いる、過渡期特有の不安感、神経疲れ、疲労感なのかもしれない。そのことと「ホルスタインを見にゆく」とがどうつながるのだろうか。「ホルスタイン」は乳牛の一種。その豊かな乳房は、母親を容易に想起させる。神経疲労には「母性」的なものが一番効くということなのだろうか。それとも疲れたり憂いたりする元凶は殆どが人間関係に由来するので、人間世界から暫く逃避し、動物と戯れる時間を持とうということなのだろうか。いづれも、家に引き籠っていたのでは、なんの打開策にもならないということだろう。人間は環境の生物。環境を変えれば、心も変わるということなのだろう。木村聡雄には他に/やがて猿が私になりすます聖夜/わが庭の時空とぎれるところ薔薇/円卓の空席が待つ猪一頭/帰還せりただ俯いて花として/菫わが午睡の淵に耀えり/遊星を遥か望めば我は羊歯/原色の罌粟となりて離脱せり/など。

「阿」は口を大きく開けた形、「吽」は逆に閉じた形。言われてみれば「冬帽子」の形がまさに「阿と吽の真ん中抜ける」である。「冬帽子」という卑近なものに、神社の狛犬や仁王像の「阿吽」を見いだす、作者のこの透徹した目が凄い。サンスクリットで、口を開いて最初に発せられる音のことを「阿」、口を閉じて最後に発せられる音のことを「吽」という。ここから、「阿吽」は宇宙の始まりと終わりを意味するようになった。後に、「阿」は真実の追求、求道の心、「吽」は智慧、涅槃を表すようにもなった。また、一対のものをも表わし、二人の人が息を合わせ共同作業することを「阿吽の呼吸」というが、それもここからきた。一見神仏と日常卑近なものは繋がっているようには見えない。しかし、日ごろから真理探究の探求心がある人は、宇宙の実相を見抜く眼を養っているので、凡夫には見えないものが見えるのだ。木村小夜子には他に/天秤の水平に耐ゆ油照り/朝顔の張りつめている時間かな/歳月は雛のうしろに置いてある/山繭のうしろは祖母の声となる/春昼やわが胸中の舟を出す/風韻の沖よりとどく冬椿/川底のオルガン深く沈めて冬/など。

4歳の孫と一緒に電車に乗っていた時、いきなり彼女が「よごれちまったかなしみに」と、例の中原中也の詩をそらで言いだしたのには驚いた。中也の詩は殆ど五七調。意味など分からなくても、子供は音とリズムが面白ければ、なんでも覚えたがるし、繰り返しの快感を楽しむ生き物なのだ。江戸期や明治の子供たちも、勉強といえば、意味そっちのけで、まずは漢文の素読をさせられた。おそらく暗誦文化の廃れた今の大学生よりはるかに豊かな教養、深い知性を持っていたに違いない。この句も子供が喜んで覚えそうな句。「合い間」と「過去」と助詞以外は全部オノマトペでできている。作者は多分遊び心たっぷりの、実験精神にあふれた人なのだろう。「みんみん」とひとしきり鳴き終わると、蝉は飛び去る直前「じぃーっ」と鳴くことがある。そこからの連想で「じぃーんと」という言葉が出てきたのかもしれない。「じぃーんと」は、感動した時の「じんとした」に通ずるが、「過去」の二字には、おそらく作者の過去ではなく、「読者のみなさん、それぞれのじぃーんとした過去を思い出してね」という意味が込められているのではないか、そんな気がする。木村いさをには他に/ニュートンの乳房の浮かぶ初湯かな/冬眠用熊の枕を着払い/切株が歩き始めたので立春/考えている場合ではない源五郎/居待月ぷちぷち潰す皮下脂肪/凍蝶にあんなこんなの毛がありて/焼芋のような男よ五郎丸/など。

「聖誕祭」は12月25日でキリストの誕生日とされているが、実際の日付は分かっていない。羊飼いが羊の番をしながら野宿していたと聖書にあるので、日本とほぼ同じ緯度のベツレヘムの12月25日は当然冬で、野宿などできないから、実際はもっと早い月だろう。一説にはヨーロッパの冬至、太陽の再生を祝う日をキリストの誕生にこじつけたらしい。「生臭きナイフとフォーク」を取り合わせた作者の意図を想像すると、キリスト教世界が長年戦争の元凶であったこと、またキリストの磔刑による死も示唆されているのかもしれない。誕生日だからと言って手放しでは喜べない事情が「生臭き」に示唆されている。木之下みゆきには他に/一本の葦八艘飛びを考える/蟇腹は八分でさみしいか/押し黙る大樹にどっと流れ星/神渡し信長ちょっと呼んでこい/ショパンいま余寒の胸になだれこむ/蛍の夜さびしい靴が集まって/源平の欠片を拾う冬の鳥/など。

女の子→少女への過渡期にいる娘さんを持っているのだろう。女の子が少女へと「脱皮」できたのは、壊れやすい「薄氷」を「跳ん」だからだという。「薄氷」を避けて通ったのでは、いつまでも「少女」にはなれないのだ。安全第一主義では、いつまでも大人になれない。リスクを冒してでも、行くべき時には果敢に一点突破する。そういう気持ちになれてこそ、大人と言える。女の子が少女になるのに「薄氷」ぐらい跳べないでは、先が思いやられる。今どきの親はあまりにも過保護。子供たちが傷つかないよう、痛い目に合わないよう、守ってやるのが、それが親の愛情だと勘違いしている。かくして、ひ弱なこども大人が量産されて、どこのクリニックも、適応障害や鬱病の若者で満杯だ。狐の子別れや、動物たちの子育て、子供の自立のさせ方に、人間の親は学ぶ必要がある。歌手の森昌子は、子供たちが18歳になると、全員家を追い出し、独り暮らしをさせたという。樹木希林も一人娘の也哉子さんが留学した時も、ただの一本も電話も手紙も出さなかったのだとか。親もいつかは死ぬ。心理的に依存していた子供、その庇護に胡坐をかいていた子供ほど、梯子を外された時のショックは大きいだろう。おそらく依存させていた親も、実は子供のためというより、いい親と見られたいために甘々だったのではないか。親の死のショックを最小限にし、素早く立ち直れるようにしてやるのも、親の最後の愛情のような気がする。木下蘇陽には他に/コスモスのどこかがゆれている不惑/威銃鎮守の森へ試しうつ/万歳をして秋天へ縮む母/曼珠沙華肥後より飛び火して肥前/サングラス夕日に叛き村を出る/満月や羊水の子の宙がへり/シーソーにひとりふらここにも ひとり/など。

「太郎月」は一月もしくは正月の異名。ちょっと調べてみたら、なんと一月は異名が、ゆうに百超え。まさかこんなにあるとは!ただの一月や睦月や正月では伝えられないことを、作者はこの「太郎月」に篭めたのかもしれない。何しろ俳句は短い。篭められるメッセージもたかが知れている。多分作者は男の子を生んで育てているところなのだろう。「鬼」には様々な意味があって、悪い意味だけでなく、例えば「 鬼 の弁慶」といえば「勇猛な人」、「仕事の 鬼 」「土俵の 鬼 」と言えば「あるひとつの事に精魂を傾ける人」という意味だ。卑近なところでは「鬼ごっこ」の鬼も「鬼」には違いない。「とびきりの鬼育てをり」だから、へなへなした弱っちい、甘やかされ放題の、そんな子育てはしていませんよ、という意味だろう。「鬼ごっこの鬼」よろしく、お母さんを追いかけ、涙で懐柔しようとしても、お母さんの方も、つい情にほだされて甘々になりそうなところを、ぐっとこらえ、我慢すること、待つことを覚えさせ、逞しい精神を養成している最中なのかもしれない。むしろここでは母親の心の方が「鬼」で、その鬼の子だから、当然「鬼」だという意味合いも含まれているのだろう。木戸渥子には他に/恋あやふやクリームソーダ掻きまはす/残り菊腹式呼吸するが勝ち/母家出て少年凍鶴となれり/苗代や田の付く苗字わんさわんさ/螇蚸跳ぶ総身緑も辛からむ/裸木へ舞台衣装は重すぎる/追憶へ流しさうめん速すぎる/など。

「ロボット」と「春の雪」の取り合わせ。「ロボット」に対して「立居振舞」とは!ギクシャクした「ロボット」の動きと同時に、この言葉を「ロボット」に用いる、この「違和感」そのものが、季節外れの「春の雪」の「違和感」に通じる。同時に「ロボットの」持つ硬質な質感、体温の「冷たさ」も。今はロボットが様々な分野に進出し、人間の仕事をどんどん肩代わりしている時代。放射能で汚染された、生身の肉体では容易に近づけない危険な現場も、大気圏外でも、ロボットなら平気だ。正確さや速さを要求される現場でも、ロボットはニンゲンよりも有用、且つ人件費0で安く使える。結果何が起きたか。大量の失業者が生み出された。今は、将来ロボットの進出がおそらく無いだろう職種を調べ、そこに安定的に就職しようとする人も珍しくない時代。確かに重いものを運んだり、腰に負担のかかる、運送や介護の現場へのロボット導入は頷けるものがある。それは、ある人たちにとっては確かに「春」に違いない。しかし、結果失業の憂き目に遭うある人たちにとっては、紛れもない「雪」なのだ。希田沙知子には他に/天心の月にフリルを縫いつける/密葬や机の中の春の塵/夜振火や海底までの駅いくつ/ふっと息ぬいて桜の国に入/誤ってたんぽぽを踏む戦かな/平等に飼われ年とる青めだか/みな海へ出てゆく暮らし海紅豆/など。

助詞「と」には用法がいくつかあるが、この場合は順接の「と」だろう。注意しないといけないのは、季語「虫」の一字が指しているのは、蚊や蠅やゴキブリなどの虫全般ではないということ。そうではなく、キリギリスやコオロギなど「鳴く」虫限定であることを忘れてはならない。「昼の虫」という傍題も別に設けられているので、単に「虫鳴く」とあれば、おそらく「夜」に鳴いている虫を指すのだろう。「虫鳴く」と言われると、私たちは自動的に夜を思うが、掲句は「鼓膜に美しき真闇」、つまり、私たちの耳の奥にも、外部と同じ「闇」、しかも「美しき真闇」があって、「闇」と「闇」とが内外で呼応し合って、繋がっていることを示唆している。人体には耳の穴も含め九つの穴が開いていて、外部と繋がっている。そこに複数の人がいれば、やはり彼らとも「闇」を媒介にして繋がっていることになる。これは般若心経の言わんとすること、全ての存在は海の上の小さな波に過ぎず、共通の一つ海を源とするという世界観にも通じる。また、すべての存在は意識の深層で繋がっているという、ユングの集合無意識の世界観にも通じる。古代マヤの「インラケチ」という挨拶言葉には、 IN=「私」、LAK=「別の」、ECH=「あなた」つまり「私は、もうひとりのあなた」という意味が篭められている。これはキリストの「自分自身のように、隣人を愛しなさい」という教えにも通じる考えだ。「すべての存在はつながっている」、全ての人がこの意識で生きれば、確実に何かが変わる、そんな気がする。北村美都子には他に/若草摘むわたし旧姓野上です/毛糸球ほろん夜咄ほろんほろん/かたつむりあしたは海へゆくつもり/椅子の背にほうと影さす雁の声/脚注の文字ほろほろと銀木犀/虹の根に草花を植え核家族/ついに言いそびれて鵙に冬が来た/など。

一篇の童話のような句。子供の行動の測り難さ、大人の予想をやすやすと裏切り、好奇心に促がされるまま、時には突飛なことも平気でする予測不能性、それを詠んだのだろう。「芙蓉」は、枝が何本も株立ちして、こんもりした樹状を形成する。子供の背丈では裏側が見えない。「裏側はどうなっているのだろう?」それを確かめずにいられないのが子供だ。子供の眼に、世界は謎と不思議に満ちている。毎日が冒険、毎日が発見と驚きの連続だ。なぜ土の中から生え出た枝の先に「紅い」花が咲くのか?子供は不思議でたまらない。生命は謎だ。人間は一番身近な自分自身さえ、ろくに知ってはいない。大いなる未知の世界が自分自身の中にある。「知らないということを知る」、それがインテリジェンス、知性なのだ。北原白秋には他に/初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた/蝶々蝶々カンヂンスキーの画集が着いた/瓦斯燈に吹雪かがやく街を見たり/茶の花にあはい余震を感じてる/降れ降れ時雨小さき木魚をわれたたかん/牛酪なめて一人いぬるや寒霰/など。

「エスプリ」は「機知・才気・精神・知性・ウイット」などという意味合いを含んだフランス語。「五月雨」は「さ乱れ」に通じ、「やつれかな」と「やつれ」を強調する形で詠嘆しているので、描いている景は、何らかの心労を背景にしたものだと推察できる。おそらく男女関係のもつれか何かで、どちらが言ったか、言われたか知らないが、皮肉にもそれが図星で、心にグサリと刺さったことを、詩人ならではの象徴表現で「エスプリ光る」と詠んだのだろう。北園克衛は詩人だが、1923年の関東大震災まで原石鼎の離れに下宿しており、俳句作品は殆ど戦前のもの。戦後は専ら詩人、イラストレーターとして活躍した。北園克衛には他に/隻腕の河童にあひぬ冬の月/水いろの帯ながながと雪女郎/白塗りの船の行方や鰯雲/蒼茫と葵の前に訣れけり/瓢箪のくびれて下る暑さかな/葛飾やびんぼう川のねむの花/荒壁に嘴うつす榾火かな/など。

「エリート」と「落椿」の取り合わせ。「落ちただけなのに」に、作者のエリートへの揶揄がたっぷり籠められている。なぜなら「エリート」は数々の試験を「落ちずに」這い上がってきた人たちだから。「落ちる」は彼らにとって、何時如何なる時でも忌言葉なのだ。この国の不幸は、「落ちる」悲哀を知らない人たちが、政治や経済を牛耳っていること。半藤一利の「昭和史」などを読むと、彼らがいかに自己を過信し、負けを認めたがらない人種か、それが戦争の実態を見誤らせ、負けているのに勝っているかのような偽報道をさせ、多くの兵士を、国民を無駄死にさせてきたかよく分かる。人生の辛酸を早くから舐め、人の心の機微が手に取るように解り、自分の弱さも身に染みて解り、それ故に真に謙虚な――謙虚という言葉には、「自分の限界を知る」という意味がある――そういう人が選抜され、そういう人がリーダーシップを執る、そういう仕組みを早く考え出さなければ、遠からずこの国は立ち行かなくなるだろう。北迫正男には他に/大胆に寝転ぶ桃を許し給え/肉体のなき軍服が泳ぎ着く/一本のバナナと昭和生まれかな/たましいと知らず白玉食べており/奥さんと奥さんの立つ夏夕べ/馥郁とイエスは抱かれシクラメン/緑陰へ入ると忘れ去られそう/など。 

今「シベリア」と聞いて、終戦の年から始まった日本兵捕虜763380人余の極寒での強制労働と、そこから生きて帰ってきた人が210000人足らず、つまり550000人余の人が死んだり消息不明になっていることを思い出す人がどれだけいるだろうか。おそらく年々絶対数は減っているに違いない。「災いは忘れた頃にやってくる」、この言葉が現実にならないことを祈るばかりだ。掲句は無季。しかし「シベリアの風」だけで、「冬」だと分る。おそらくシベリア抑留の日本兵捕虜の悲惨を描いた舞台なのだろう。もしかしたらシベリアの凍てつく寒風の効果音も、舞台には流れていたかもしれない。歌手の故三波春夫もシベリア抑留経験者。ロシア語を少し話せたお陰で、少しはましな扱いだったと言うが、友人の父もやはり抑留者で、思い出すのが嫌で、家族にもその当時のことは話さなかったという。自衛隊の海外派遣を巡る昨今の首相の改憲発言からも、中・米の関税引き上げの経済戦争にしろ、戦争を対岸の火事として看過できない状況になりつつあるようで、先行きが不安である。北川邦陽には他に/鯛は鯛にぶつかっている春の波/心臓のかたちはいづれ曼珠沙華/片陰のゴリラ助走をくりかえす/落葉降る絵本の中で寝てしまう/俺よりもほら吹きがいるあかまんま/木枯しの目玉ぶつかりあう音す/など。

「結婚適齢期」「出産適齢期」とはよく聞くが、「死」にも「適齢期」があったとは!こういうことを言えば、おそらくバッシングがあるだろうことも予想したに違いない。本質を見据える、俳人ならではの覚悟、思い切りを感じる。「合歓の花」は、夜になると葉を閉じて眠ったようになるので、 別名「ねむり木」ともいう。花は白とピンクのツートンカラー、鳥の羽毛のような繊細な花で、「死」という暗くなりがち且つデリケートなテーマに取り合わせるには、これ以上ないほどの花。少し前は評論家西部邁の自殺幇助問題が取り沙汰され、最近では脚本家の橋田寿賀子の安楽死発言がマスコミを賑わせ、また百歳長寿が珍しくなくなってきた少子高齢化の今、「死の適齢期」はこれからますます無関心ではいられない問題になるだろう。ちなみに安楽死先進国オランダでは、死者の3~4パーセントは安楽死だと言う。癌末期などの耐え難い痛みなど、正当な理由があれば、せめて最期ぐらいは安らかにということらしい。眠剤をまず投与し眠らせた後で筋弛緩剤を打つ。眠っている間に逝くので、臨終の顔も安らかなのだという。北上正枝には他に/ひまわりの直立おじいさんがいる/彼岸入りフリーザーには今朝の麺麭/陽炎や記号のように父が佇つ/羽蟻出ていま生臭き遊歩道/白菖蒲母がちらちらして困る/山芽吹く人は掌を擦る鼻こする/青蔦やはたりはたりと象の耳/など。

絽や紗でできた、蝉の翅のように透きとおった夏の単衣「羅(うすもの)」と、魚の体の中でも一番「うすい」「鰭」の「取り合わせ」。恒温動物の人間の外見と変温動物の魚類の外見の「異種配合」とも読める。また人間は夏の湿度の高いムシムシした状態を耐え難く感じる生物だが、魚類は湿度100パーセントの環境でも涼しい顔をしている、その生活スタイルの落差、「対比」も興味深い。どんなに暑くても裸では人前に出ることができない人間、片や夏冬変わらず裸一丁で平気な魚たち。自分の外側の環境を作りかえることで生き延びようとする人間と、変化する環境を変えることなく順応を試みる魚類たち。「異種」の存在は、私たちに色々なことに気づかせ、考えさせてくれる、有難い存在なのだ。岸本由香には他に/うすらひや息づかひはた翅づかひ/きんいろのスープを皿に抱卵期/ぬくめ酒町屋跡より鶴の骨/ゆふさりの雪に風呂敷濡らさぬやう/晩涼や桐の箱より大首絵/月の庭幾度も思ひ出す鼻梁/烏賊に軟骨わたくしに骨なきところ/など。

私が少女だった頃、父は国有林の管理をする技官で、住まいは山の中腹にあり、学校も分校だった。分校への行き帰りは、冬はスキーで新雪の上を最短コースで滑り降り、帰りはスキー板を「ハ」の字にして坂道を登り、途中豆柿が生ったまま干柿のように甘くなったのを、おやつ代わりに捥いで食べ、道草をたっぷり食いながら帰ったものだ。遊びは専ら戸外で、野山を駆け回り、落とし穴を作ったり、草と草を縛って足罠を仕掛けたり、木に登ったり、山法師の紅い実を食べたり、山葡萄に顔をしかめ、桑の実に舌を紫にしたり、胡桃や栗は拾い放題、川ではパンツ一丁で泳ぎ、蜆を採ったり、茸や山菜を母へのお土産にしたり、台風の時は大木のサクランボの実が落ちるのを楽しみにしたりして、雨の日や雪に降り込められた日以外は、まさに野生児そのものだった。もちろん「鬼灯」も爪楊枝で中身を出し、袋を鳴らす遊びは、どの子もお手の物。なので、掲句を読むと、まさに隔世の感を禁じ得ない。学校ではいじめが横行し、子供の自殺が後を絶たず、近親殺人や、若者の殺人事件も後を絶たない今、社会的成功=物質的に豊か=幸福という、従来の教育の目指してきた幸福観、成功図式は見事に崩れ去った。「自然に帰れ」とルソーは言ったが、相変わらず経済最優先、お金がなければ、美味しいものも食べられないし、行きたい旅行にも行けないと、お金第一主義を当然のように肯定し、抗菌グッズに溢れ、Wi-Fiの届かないところへは子供たちも遊びに行きたがらないという今、時すでに遅しなのでは、と思うのは私だけだろうか。岸本砂郷には他に/オカリナの音色枯葉と浮遊せり/シグナルへ向き待つてゐる冬帽子/冬木立鎮守の森へにじり寄る/大寒のある日放哉生き返る/縄文の森よりきたる黒揚羽/着ぶくれて人語怪しくなりにけり/秋風のあとひたひたと鬼が来る/など。

「梅を干す」、おそらく毎年繰り返されてきた、作者にはお馴染みの手慣れた作業に違いない。それを「一生の途中に」「干しておく」と捉える、この感性が特異だ。自分の人生を、あたかも神の視点から俯瞰して見ていて、最後まで見届けたうえでの「途中」観など、なかなか持てるものではない。私たちは常に「いま・ここ」しか生きることができない。ましてや最後がどうなるかなんて、誰にも予想できないし、読めもしない。しかし「いま」が終わりでない以上、「途中」としか呼びようがない。究極の自己客観視である。菊地京子には他に/ずるずると生きたところで滝に会う/青蚊帳に父の潜水艦がいる/秋風の終りが馬になっている/騙されてみるか橙のしもぶくれ/八月をたたんで千羽鶴にする/魔がさしてバッハの曲で風邪をひく/消印のないまま秋が来ておりぬ/など。

「観念」の「虚」と「さくら」の「実」の取り合わせ。たぶん職場のお花見、その宴会での「飲めや歌え」の無礼講を詠んだ句。桜のお花見の起源は、西暦812年の嵯峨天皇の「花宴の節」。平安時代のお花見は、貴族が桜を愛でながら和歌を詠むという、雅やかで風流なものだった。今のようなどんちゃん騒ぎが始まったのは、貴族を真似て武士がお花見を始めた鎌倉・室町時代から。安土桃山になると、かの豊臣秀吉が大規模な花見の宴を催し、武将たちとコスプレ祭などのバカ騒ぎをやったりしている。江戸になり八代将軍吉宗が大規模な桜の植樹を行い、その頃から庶民の間にもお花見が広まった。桜は花期が短い。咲いたと思ったら、じきに散ってしまう。今でこそ日本は世界有数の長寿国だが、昔は戦に加え、旱魃などの異常気象や、疫病の蔓延などで、平均寿命は、室町時代で33歳、江戸時代でも45歳、昭和22年でも52歳だった。桜に人が特別に肩入れをするのは、理由があるのだ。普段上役に気を遣っている人も、この日ばかりは伸び伸びとできる、周りも少々のことは大目に見る、そんな空気を醸して「心を解放」させる、これも命短い桜なればこその働き。木方朝子には他に/冬蝶のゆくさききめてゐるらしい/秋彼岸いぶりはじめる沖であり/山茱萸の気どつてみたり曇つたり/平常の木となつてゆく梅散らば/ねこじやらし山をあやつるほどでなし/じやがいもの花に曰くのけぶらへる/など。

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