KUYOMI

2018年06月

「社会鍋」は別名「慈善鍋」とも言われ、救世軍による所謂歳末街頭募金のこと。「せんちめんたる」は、感じやすい、涙もろい、感傷的、情にもろい、という意味。こういう、人の不幸に感情移入できる人がいるお蔭で、募金活動も成り立つといえる。お金ですべてが解決するわけではないが、新しい年を人々の善意を感じながら迎えるのは、貧しい人にとって心温まることにちがいない。人生自分の努力次第でどうにでもなることばかりではないことは、テレビでも散々取り上げられて、誰もが周知している。何事も打算と損得勘定で生き、人間不信が蔓延するなか、人の善意に対する信頼を少しでも取り戻すには、こういう募金活動がもしかしたら欠かせないのかもしれない。伊東 類には他に/あたたかさ丸めてキャッチボールする/おしろいの花の菩薩に抱へらる/くぐり戸を開けて味噌買ふ西鶴忌/胡桃割る帝釈天の大きな手/可愛さをしたたかに巻く水芭蕉/彼岸会のいちにちの音置いてある/棟梁の大いに笑ふ木下闇/など。

確かに!「骨太な文章」とか「換骨奪胎」とか「骨のある人」とか、「骨折り損のくたびれもうけ」「骨が折れる」「骨抜きにされる」「骨身に沁みる」「骨身惜しまず」「無駄骨を折る」「骨までしゃぶる」などなど。いづれも「人間」の骨のイメージを借り「もの言わ」せた熟語は枚挙にいとまがない。季語の「霜」も「柱」もその元となった「水」も、あることの喩として使われる頻度がかなり高い。そもそも、言葉それ自体、喩なのだ。描かれた桃のようなもので、それ自体実物ではない。当座イメージを共有するための「仮の名前」に過ぎない。マグリットが本物と見紛う精巧なパイプの絵に「パイプではない」というタイトルを付けたのと、全く同じである。作者は漢和辞典か広辞苑で「骨」を引いていた時、たまたまその汎用例の多さに気づいたのだろう。「骨はもの言う」、この一語で詩になった。伊藤俊二には他に/そちこちの狐火偽造かもしれぬ/喜びのたとへば土手を這ふ南瓜/春分のぬかるみ人の死人の生/白波の育てしいわし雲ならむ/ 四月馬鹿昨日のあひる今日も居て/しばらくはこの世のかたち朴落葉/港にかもめ巷には新社員/飛んでいく時間には詩を藷焼酎/など。

グリム童話の「かえるの王さま」を下敷きにした句。ある日王女は、金の鞠を泉に落とす。そこへ一匹の蟇があらわれ、鞠を拾ってくる代わりに、自分を王女の友にし、王女と同じ食べ物、王女と同じベッドで寝ることを要求。王女は約束したものの、それを反古にして帰ってしまう。蟇が王女のお城に乗り込むと、王女の父の執り成しで、王女は渋々蟇との約束を守らされることに。結果、蟇の魔法が解け、実は王子であったことが解り、非礼を詫びた王女とめでたく結ばれる、という話。当然ながら、現実はお伽話とは違う。庭の蟇は王子にはならない。期待しても無駄である。そうは解っていても、無下に毛嫌いし「あっちへ行け」と言うには、いささか躊躇いがある。その躊躇いが、この童話を「知っている」ことに起因することに、ある種の「ガッカリ感」と共に気づくのだ。この童話を知っていなければ、蟇を見て、単純に「ああキモチワルイ」で済んだものを。「知る」ことで生まれる、期待感やガッカリ感、より複雑な心理。童話一つ「知っている」と「知らない」とでは、蟇一つ見ても、その反応は全く違ったものになる。他者の反応が自分のそれと違うのは、「知ってる」もの、事が違うから。そのことをこそ、私たちは「知っている」必要がある。伊藤 梢には他に/にんげんが壊してしまう蟻の列/一本は君に傾く月見草/勿体ない寒夕焼と猫の爪/木曜のパン屋の軒のつばくらめ/伏せられしカードそのまま去年今年/冬薔薇反逆の白崩れゆく/納得のいかぬあれこれ斑雪/決意などなし極月の海に来て/など。

「ふるさと」はこういうところですよ、と表現するのに「耳に紫陽花咲かす馬」とは!こういう表現を見ると、読者としては何がなんでも、この表現が意味するところを解明したくてたまらなくなる。解読欲のスイッチがオンする瞬間だ。私の想像では、まず作者の故郷は、馬の産地なのではないかと思う。今時農耕馬を使うところは少ないから、競走馬、もしくは馬肉(さくら肉)用の馬を生産していたり、乗馬試乗体験ができる馬牧場などがあるのかもしれない。そしてとにかく紫陽花が至る所に咲いているのだ。「馬の耳」にまで!この誇張表現から解るのは、どんな「狭い」ところにも、「へえ~こんなところにまで!」というようなところまで紫陽花が埋め尽くしているということ。作者は埼玉の人。「埼玉 馬 紫陽花」で検索すると、秩父や生越(おごせ)、東松山、鳩山町などがヒットした。思い切った省略と誇張表現で読者の解読欲を刺激する、これが俳句だ!という見本のような句。市野記余子には他に/梟よ君の水洟愛しかり/紙千枚うらがえすなり秋の佐渡/薫風やあちらの木戸番はカフカ/あゆむことどうでもよくなっている雪沓/言葉浮かばず土筆のように立っている/八重山吹生国はもう見知らぬ石/目張焼きこのうすあかり吟味する/など。

「分かち書き」に加え、「思想」などという、抽象的で観念的な堅い言葉を、敢えて句の中に持ち込んだ、作者の思い切りの良さ、大胆さ!「俳句は何でもあり。文句ありますか」とでも言っているようだ。「夏至」は一年で一番日照時間が長い。「夏至の女」は、とにかくノーテンキでポジティブで熱くて明るい人なのだろうと推察する。「レース編」は部屋に繊細で上等な華やかさをもたらす装飾品。「思想までレースで編んで」という表現には、彼女にとっては「思想」でさえ、自分の身を飾る装飾品の一つに過ぎないという、作者の皮肉な眼も感じられる。伊丹公子には他に/噴水まで 水中歩く 春の園丁/夏は老いた かさりかさりと黍の村/寒の金魚 盲目のように芝へ向く/寒む寒む虹が懸つて 終日見られる犀/食虫植物垂れ 温室のこわい秋/村の寡黙へ 馬鈴薯畑の蛙とぶ/蝶枯れて 女はいつも湯を沸かす/など。

「喀血」と「油照」の取り合わせ。生命エネルギーの衰退と、過剰な太陽エネルギーとの対比と言ってもいい。眼目は「眼玉の乾く」という表現。実際には体全体から汗が噴き出し、ベタベタジメジメしているはずだが、そういう中にあって「眼玉」だけが「乾いている」という。文字通りの「ドライアイ」というより、何かをじっくり見て観察しようという意欲が起きない、そんな感覚なのではないかと推察する。飯島晴子は失明して吟行に行けなくなったとき、自ら命を絶った。俳人にとって「観察」に不可欠な眼の存在は、俳句生命を左右する程、絶対的な存在なのかもしれない。「眼玉」という、生きていく上で肝要なところの水分までも奪ってやまない、それほどの暑さだということ、病人にとって「油照」は体力を消耗し、時に命の存亡にかかわるほど耐え難いということ、しかし俳人はそれさえも作品にして昇華するすさまじい底力を秘めた存在だということも、同時に体感感覚で伝わってくる。石原八束には他に/さよならをくりかへしゐる走馬燈/コンコルド広場の釣瓶落しかな/パイプもてうちはらふ万愚節の雪/一之町二之町三之町時雨/野仏の前掛にゐる大螢/心臓と同じくらゐの海鼠かな/昼寝覚めれば誰かが死んでをり/月光を炎えさかのぼる海の蝶/など。

公園の「ベンチ」というと、普通「背凭れ」のあるものを想像する。作者もそれを期待していたのだろう。しかし「父の日」に作者が偶々来た公園のベンチには、背凭れが無かった。現実が期待を裏切った違和感、それをすかさず句にした。ベンチに背凭れがないと、当然ながら寄りかかることができない。妻や子には夫・父親という「背凭れ」があるのに、「父」である自分には、いざというときに寄りかかれる相手がいない、という事実。そのことにハタと気づき、父の気持ちは揺れる。ひたすら頼られるだけの存在、それが「父」なら、自分は背凭れのないベンチのような父かもしれない。頼りないかもしれないが、疲れた時に腰を下ろす、その必要最低限のことだけは、どうやら果たすことができているようだ。休日となれば家庭サービスより、接待ゴルフや釣りなどに出かけてしまう父の多い中、公園で遊ぶ妻と子を見守る、それができているだけでも上等と思いたい。石田よし宏には他に/とむらひの一人ひとりの手に蕾/はりがねの柵の行先春まつり/冬の虹手話の怒りを傍観す/著ぶくれて喫煙席の一人かな/死顔に一つ言葉ののどかなり/紫陽花の中にハモニカの低音/聖書には申し分なき黒揚羽/茅の輪にはたしかに空気膜ありぬ/など。

かぐわしい「木犀」と、おそらく黴臭い「捨畳」との、においの対比が効いた取り合わせ。花のあるものと、花の無いものの対比でもあり、毎年更新する命あるものと、更新の無い死せる物との対比でもある。「捨畳」は素材がそもそも自然物なので、朽ちることで将来的には生けるものを養う肥料となる。命の実相を西田幾太郎は「絶対矛盾の自己同一」と言ったが、命は死を内包し、両者を切り離すことはできない。例えば胎児は指間に水掻きを持っているが、時期が来ると自殺遺伝子の発動=アポトーシス(細胞の自死)が起こり、水掻き部分が脱落するようプログラムされている。オタマジャクシの尾が消えるのも、同じ原理である。60兆個ある細胞も日々死んでは生まれ変わり、1年後には全身すっかり入れ替わるらしい。「木犀」と「捨畳」のように、外見上は異なる二者も、実は深いところで繋がっている。切れているようで、繋がっている、それが命というものなのだ。石田勝彦には他に/冴返るとは取り落とすものの音/コスモスのまだ触れ合はぬ花の数/遅れたる足を引き寄せ蟇/くぐらねばならぬところに瓢かな/梟の忘れものかも昼の月/みどりさす花嫁のまだ着かぬ椅子/眼が裂けてをる炎天の鴎かな/烈風の枝ことごとく桐の花/など。

「紅梅」の花の一番美しいときを詠もう、という発想は凡人並だが、「日暮」て、色がくすんできた時の、必ずしもベストの色ではない紅梅、その存在の「ぼつてり」感を詠もうという発想は、凡人のものではない。俳句で何を詠むかの「何」は、余人の「見ていても、見えていなかったもの」を詠むのが定石だが、これもまたその一つである。昼の紅梅もあれば、夕方の紅梅もあり、一口に紅梅と言っても、時と場所とシチュエーションが違えば、全く違った顔、印象を見せる。その中のどれが今まで詠まれてこなかったか、そこを探ることから句作は始まるのだ。「徒然草」第137段に「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」とある通り、全盛期だけではなく、そうでない時の風情を、古来日本人は愛してきた。人生に置き換えても、不遇な時ほど人の心性は陶冶される。谷崎の「陰影礼賛」ではないが、今まで詠まれてこなかったシチュエーションは、案外陰影寄りに、より多く開けているのかもしれない。石嶌 岳には他に/クリムトの金の接吻結氷期/初富士や箔一枚を置くごとし/臍の緒の明るき雪となりにけり/魂魄を生絹(すずし)につつむ雛かな/はんざきの笑うてゐたる水泡かな/マーラーの重音ひびく黒葡萄/蟷螂の風喰ふほどに枯れにけり/など。

「爆心地」の広島、長崎とはいえ、原爆の記憶が暑さを増幅することはあっても、和らげることはない。「いま・ここ」を生きるしかない人間は、いつまでも過去に拘泥しているわけにはいかないのだ。とりあえず眼前の暑さを「氷菓子」で凌ぐことが、生命維持の喫緊の急務。人は、過去にも未来にも生きることができない、という事実をこの句は付きつけている。石﨑多寿子には他に/一帆の展く沖ありかき氷/枯芝を転つてゆくビスケット/言ひ訳はしないと決めし鉄線花/迀闊にも死ぬまで長女ゆすらうめ/鉢巻をとるや忽ち蟬しぐれ/国境を越えきて眠るハンモック/葉ざくらやざらりと触れし馬の舌/薫風や少女に借りし一フラン/など。

「ひと言でいえばいいひと」だなんて、殆どの人はそうなんじゃないか?誰だって嫌われるより、いい人だと思われたいという、自己愛に根差す隠れた動機を多少なりとも持っている。どだい「ひと」を「ひと言で」いうなんて無理だ。「いいひと」なのは作者との関係性の中でたまたま見せる顔にすぎない。人の中にはいくつもの顔があって、中国の伝統芸能「変面」のように、無意識に相手との関係性の中で色々な顔に付け替えている。会社の上司に対するときと部下に対するときでは、違う顔で接するだろうし、仕事の顔と家にいる時の顔、家族に対する顔と友人に対する顔、みな違う。自然が多様なように、自然の一部である個人も多様なのが「自然」だからだ。「シクラメン」は原種だけで20種もあり、一重や八重、フリンジ咲など、咲き方も多様で、花の色も、白や赤・黄・ピンク・紫、それらの混合など、多様である。斑入り、銀葉など、葉も多様で、それらを組み合わせると、数え切れないほどの品種がある。俳人は「いいひと」さえも、そういう多様な顔を持った存在として見ているのだ。石口りんごには他に/「さわらないで下さい」桃の感受性/下戸二人柘榴ジユースにしてしまえ/攻めねぶた老後の備えなどあらず/枯芝や金の茶壷の二坪ほど/白菜やつむじ二つの赤ん坊/留守の家覗く十人枇杷の花/地始めて凍るあんよの記念日よ/など。

人生の黄落期は、そろそろ自らの終活、店じまいを考える時期。あっという間だったと思う人、長かったと思う人色々だろう。そんな中で、年をとるということの功の一つに、拘りがどんどん少なくなって、「なんでもあり」が肯定できるようになること。「生きたいように生きるのが一番」と思えるし、事実そうしか生きられなかった。自分が人の思惑などそっちのけで生きていればいるほど、人の生き方にとやかく口出しすることは少なくなる。他者からの肯定より、自分で自分を肯定できるかの方が、よっぽど大事だからだ。一本の樹が秋を迎えて葉っぱを次々落とすのを、作者は樹が「みんなを自由にしてあげている」、自分への依存、束縛を解いてあげる図として見た。同時にそれは老年期に入った人の大らかさの象徴でもある。老人の負の側面だけをクローズアップして老害と捉える向きもあるようだが、自由志向の最先端に、様々な拘りから解放された老人が居るという正の側面も、また見過ごしてはならない。他者の思惑に疲弊した若者たちが、祖父母の言説や眼差しに触れて一時生気を取り戻す、そんな経験が目立たないところで若者を支えているのだ。石口 榮には他に/キヤベツ割る人間の脳見てしまう/化野は風の遊び場秋深む/噴水の水裏見せて落ちにけり/囀りや我も越後の曇り声/人間をやめられなくて春田打つ/秋刀魚買うこの美しき刃紋買う/菊人形袖の下より水貰ふ/蟬穴のどの穴ゆけば少年期/など。

俳句に何を詠むかは、多く作者が何に心を揺さぶられたかが契機になる。この句の場合、「老人が奇麗に住んで」いることが、作者の心を揺さぶった。なぜ揺さぶられたかは、それがおそらく「老人」のイメージ、常識からすれば例外だからだろう。老眼でホコリや汚れなどが見えにくくなり、体力も気力も衰えて、マメに掃除したり、片づけたりすることがだんだん億劫になる老人は、得てして小汚くなりやすい。「綺麗に」住むためには、余程自分を甘やかさない厳しさがなければできないことである。季語「一位の実」の一位は別名アララギともいい、その樹形は、真っすぐな幹とあいまって、すっきりした立ち姿を特徴とする。生垣に使われるキャラボクに似ているが、キャラボクは枝が横に伸び、葉も四方八方に出て、樹形は総じて低く、こちらの方は大方の老人のイメージに近い。一位の葉は二方向に向きを揃えて出るので、こちらは整理整頓されたイメージがある。「綺麗に」住んでいる老人は、間違いなく「一位」の方。季語選びにも両者相響くよう細心の注意が払われていて、見事である。石黒甲子には他に/夏みかん東西南北淋しきぞ/天平の朱唇佛手柑色づきぬ/天涯は白夜マンモス空を飛ぶ/瓔珞が激しく蛇を追ひ詰める/白亜紀の空まのあたり霧氷林/鉄削る夾竹桃が暗しと言ひ/傘立ての上で乾けり日章旗/百日紅どんより生年月日書く/など。

「それぞれの躰持ち寄り」、ここがなんといってもすごい!虚を突かれるというか、見えていたのに意識のスクリーニングに引っかからなかったものを「ほら」っと見せられて、「はっ」とする感じ。当たり前のことを敢えて言葉にすることが、こんなにインパクトのあるものだとは!お茶菓子やら自慢の漬物やら持ち寄るのもいいが、それらも「躰」あってのこと。「躰」があるからこそ何でもできるのに、私たちはついあるのが当たり前になってしまい、とりたててありがたみなど感じない。なんと罰当たりなことだろう!俳句は何も「特別」なもの・ことを詠まなくとも、当たり前になってつい忘れている大事なこと、それをすかさず言葉にするだけで、十分インパクトのある句になるのだ。日常の見慣れたものを見直す、その作業を通じての発見や感動が、毎日を新鮮に、退屈知らずに生きるエネルギー源になるのだ。石倉夏生には他に/あをぞらの鱗の桜ふぶきかな/蛍火をふやす黒人霊歌かな/噴水は永久に白髪且つ怒髪/鳴きさうな昭和の亀を飼つてゐる/みづいろの春眠くれなゐの永眠/サングラスとれば荒野の殺到す/瞳孔の奥に雨ふる菊人形/境目をさがしに昇る雲雀かな/など。

「戦友は」の「は」、「しぐさ」の「さ」、「しずか」の「か」のA音の脚韻がまず響いてくる。ここでいう「戦友」は必ずしも文字通りの戦争で共に戦った仲間という意味に限定されない。職場や他の場面で、共に困難や窮地を乗り越えた仲間という意味もある。「首切る」仕草の意味するものは、多くはリストラ、お払い箱だが、組合活動などで一緒に闘って、会社から目の上のたん瘤扱いされていた二人だったのかもしれない。戦友自身が首切りにあったとも、作者が首切られたとも、両者とも首切られたとも、両者の知り合いが首切られたとも、色々に読める。「雪しずか」という措辞から、その通告が心外な予想外のものではなく、ほぼ予想通りの結果だったことが想像できる。しずかながら「雪」には、厳しい現実にこれから対処していかなければならない心境や覚悟、決意と同時に、利益最優先の会社の正義と、労働環境改善や待遇優先の勤労者の正義のあいだの、「雪解け遠い永遠の冬」も示唆されているような気がする。石川青狼には他に/ひきこもりの子たちが丘に越冬にんじん/また雪が降るひとごとのように降る/春の泥華燭の門をくぐりけり/傘は杖肩に梟の気配/太陽凍てどれも幻鳥図鑑/昼の星樹恩(じゅおん)樹恩と鳴く梟/満月の死角を泳ぐ牡鹿なり/など。

「太陽を焼き落としたる」は明らかに誇張表現である。「蝦夷」は今の北海道。北海道に住んでいたのでよく解るのだが、北海道の景色は本州の景色と全く違う。とにかくだだっ広いのだ。本州にいて海の地平線を見ることはあっても、陸の地平線を見ることはめったに無いのではないか。北海道では、陸の地平線がごく当たり前に見られる。野火も、だからとてつもない広さを焼くことになる。延々と野火が地を舐めるので、気付いたら太陽が地平線に沈んでいた。それを野火が「太陽を焼き落とした」と表現することで、そのかかった時間、空間の壮大なスケール感を表現した。ごく普通に描写したのでは、到底この時間経過とスケールは表現できなかっただろう。誇張表現を敢て採用した必然性、意味が、よく伝わってくる句である。石井国夫には他に/しろがねの風が笛吹く雪野かな/極楽や二丁目一の初桜/兄の血のにほふ摩文仁のゆやけかな/望来の夕陽ふくらむ花野かな/摩周湖の星の軋(きし)めく御神渡り/ピアノ弾く少女は一途颱風裡/ひとくみふたくみ親子の雁を月が生む/など。

音の出る管には金管・木管があるが、土管とは!そうとしか喩えようがない、地をも震わす牛蛙の声!説明不要。納得である。石井紀美子には他に/さくらさくら有頂天という死角/ひまわりの迷路で二人きりになる/みんみんの蔵から昭和つかみ出す/年の瀬や叱られている玩具箱/鳥たちが唄う小春の仮住まい/風だけを入れに行く家夏あざみ/枕木は鳥の木琴大夏野/卒業の子の持っている夢袋/など。

「啓蟄」の「蟄」は、昔の刑罰の一つ「閉門蟄居」の蟄で、「家の中に閉じこもること」。「啓」は「ひらく」で、「閉じこもっていたものが、外に出てくる」という意。冬の間冬眠していた虫や蛇、蛙などが、穴から出てくる3月初旬の時候を指す。「Quo Vadis」はラテン語。新約聖書の中で、迫害を怖れて逃げる道中ペテロが、磔刑で死にその後復活したイエスに会った際かけた言葉とされている。「主よ、どこへ行かれるのですか?」という意味。復活したイエスも、死後葬られた穴から出てきたわけで、まさに「啓蟄」と符合する。また出てきた虫たちが「どこへ行く」かといえば、虫嫌い、爬虫類嫌いの人の世に出て行くわけで、まさに受難の始まりともいえる。「啓蟄」が「Quo Vadis」の言葉を呼び起こすという掲句の発想は、突拍子もないように見えて、むしろ十分な説得力とリアリティがあることが解る。石 寒太には他に/かろき子は月にあづけむ肩車/濡れ来しは蝶の挨拶かと思ふ/而してわれ不知火の蘂となり/かはうその貌の流れてゆく暮春/ユダの血のわれにも少し青蜜柑/あつまれるものみな阿修羅蔦紅葉/生も死も有や無やとなり螢の夜/など。

「誰も詠まないもの、詠みたがらないもの、それを詠む」、俳句の鉄則だ。「晩年の乳房」はまさにその一つだろう。「乳房」に「晩年の」という修飾語が付いたのを、初めて見た。「乳房」に人々が関心を持つのは、それがむっちりと張り切っている時。老いて萎び切り、重力に抗しきれずに垂れたソレなど、誰も美しいと思わないし、殆どの人は敢えて詠みたいとも思わないだろう。だが、そういう常識に準じた思いは凡人のものであって、断じて俳人のものではない。俳人が見つめる美は、表面的な上辺の美ではなく、本質的な美だからだ。誰にでも晩年は訪れる。萎びた乳房も、立派に子を生み育てるという大役を果たし、今があるのかもしれない。生きる知恵に長けた「大鴉」だけはソレから目を逸らすことなく、「見る」のだ。無季ながら、鴉に乳房を見られるということで、縁側での行水や清拭を読者に想像させようという、作者の企みも窺える。井沢唯夫には他に/雪昏れてたたかいおわる紙袋/不器用な手がうごきいる花曇り/逃げ水の上の黒人霊歌かな/地下鉄の迅風(はやて)の奥の青芒/驟雨後のあかるき基地のねずみとり/岸岸の秋や火の粉が降つている/春山の裾を消しゆく薬売り/昼寝ざめ足裏にある父の墓/など。

松虫は在来種だが、「青松虫」は外来種である。「モチベーション」は「動機、動因、やる気を刺激するモノ」の意。作者のやる気を刺激するのは、在来種というより、どちらかというと外来種の「界隈」にあるらしい。道理で「モチベーション」などという外来語を使うはずだ。俳句でやっていけないことはない。外来語だって例外ではない。あれダメ、これダメと、原理・原則を杓子定規に適用する教条主義は、むしろ俳句の柔軟な精神に反する。俳句を面白くすることなら、何をやってもオッケー。それが、俳句の伝統なのだ。池永英子には他に/川筋に住みて鴨より人の胸/温暖化の生き物分布夜干梅/糠床の眠る三日を風の盆/芒原少女は宇宙遊泳中/風花の一句預けたまま消ゆる/漢方の十日のじわり冬銀河/ 芹なずなこの子のどこもバネ仕掛/正体のばつ悪そうに夜盗虫/など。

このページのトップヘ