作者の生没年を見ると1886年(明治19年) - 1953年(昭和28年)。明治時代・大正時代は、男性の平均寿命は43才前後。戦後直後の1947年でようやく50才となり、1951年に60才、1971 年に70才、2013年に80才と順調に伸びていき、2020年には女性が87.74才、男性が81.64才となった。伸びた理由には、乳幼児の死亡率の低下(大正期までは15%程度、現在は3%程度)、医療の進歩、食物や生活環境が量質ともに改善したこと、などの要因があるだろう。2021年今年の「老人の日」(9月15日)の厚労省発表によると、国内の100才以上の高齢者は8万6510人で、51年連続過去最多を更新中である。内訳は、女性が7万6450人で全体の約88%を占め、男性も1万60人と初めて1万人台に達した。「百年たれか生きん」は、作者の時代なら大いに共感を呼ぶフレーズだが、今では共感する人はいないだろう。しかし死は必ずしも年功序列ではない。どんなに若くても、明日の保証のない命を生きていることに変わりはない。したがって「音頭なとれ踊れをどれ」は今も有効である。貴族の平均寿命が30才だった平安時代末期の流行歌集「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん」や、平均寿命15才!の室町時代の歌謡集「閑吟集」の「何しようぞ  くすんで  一期は夢よ  ただ狂え」(何になるだろう、真面目くさってみたところで。しょせん、人生は短い夢。ただひたすら、面白おかしく遊び暮らそうではないか)にも通じる呼びかけである。生まれ持った生命の内的衝動を押さえつけず、思いっきり発散開放し、自分を生かし切れ。これは古今東西問わず、人が十全に悔いなく生きるための普遍的な指標なのだ。安齋櫻磈子には他に/綯ふものもあらず寒九の大地ただ光る/晩学静か也杉は花粉を飛ばす/梟に似て黙す一家昼をあり/絵日傘に亡き児や行くとながめけり/情薄きものの一つや竹婦人/二少女さびしくてむかご拾ふ事をやめ/うそ寒や夜更寝余る病み上り/など。