KUYOMI

「宵の秋」は「秋の夜」の傍題。同じく「秋の夜」の傍題に「秋の宵」があるが、それぞれ前者は「秋」に、後者は「宵」に重心があり、区別されている。「淋しさにつけて飯くふ」とあるが、この「淋しさ」は、単なる「口淋しさ」だけではないだろう。もちろん夏の暑さで衰えていた食欲が、実りの秋を迎えて回復したということもあるが、年齢的に「秋」の季節、しかもその「宵」、つまり後半生に入り、あとは否応なく「冬」へ突入する、そのとば口にいるという自覚からくる「淋しさ」、それが多分にあるような気がする。その否定しがたい現実から一瞬目を逸らし、忘れるために食に走る、まだまだ食欲だけは若い者に負けない、という悪あがき、それが「淋しさにつけて飯くふ」という形で顕在化するのかもしれない。抗いがたく下降し、老いてゆかざるを得ないことへの無意識の抵抗、それが食欲に転化した結果、いわゆる中年太りに陥る、というわけだ。中年になって一回りふくよかな体型になった人の多くが、内心に「淋しさ」を抱えていることを知ると、単に自己管理ができていないという厳しい目で彼らを見ることができなくなり、むしろ、愛しさを感じてしまうのではないだろうか。夏目成美には他に/行春を鏡にうらむひとりかな/ふゆの春卵をのぞくひかりかな/寒月の光をちらす千鳥かな/あふむけば口いつぱいにはる日かな/里の灯を岸に浸すや秋の水/ささやかば曇りもぞする春の月/若葉して仏のお顔かくれけり/秋の日のずんずと暮て花芒/など。

「木の実」の季節に、落ちている「木の実」に着目する人は多いけれど、それを「ふむ」ことで、「地のさびしさ」に気づく人は、まずいないのではないか。そういう意味でも掲句は地味ながら、「誰も詠んだことのないものを詠む」、という俳句のセオリーに十分適った句である。「木の実」を「ふむ」ということは、踏みようによっては、「木の実」が芽吹く可能性を奪い、断ち切る。「地」はある意味、命を育む母なるバックグラウンドだから、「木の実」が芽吹く可能性を奪う「ふむ」という行為は、流産や中絶に似た母の「さびしさ」に繋がると、敏感な作者の「蹠(あうら)」は感知したのだろう。人はどうしても自己中心的に物事を感知しがちである。人間存在の最大の拠りどころであるにもかかわらず、「地」に感情移入する人は、ほとんどいない。日ごろから自然に親しみ、その恩恵に感謝する姿勢があったればこそ、詠み得た句なのである。那須乙郎には他に/月に翔け翼下にくらき地中海/日曜の手を妻に貸す秋ざくら/炎天の一樹一影地にきざむ/青空へ双手突込み袋掛/われに来る落葉と見えて遠く去る/月光に指をあやつり林檎むく/子を抱く妻冬虹を光背に/何怒る何泣く羅漢しぐれつつ/など。

この句を面白くしているのは、「うそぶく」という多義語が使われていること。「うそぶく」には、①とぼけて知らないふりをする②偉そうに大きなことを言う。豪語する③猛獣などが吠える。鳥などが鳴き声をあげる④口をすぼめて息や声を出す。口笛を吹く⑤詩歌を小声で吟じる、など都合5つの意味があるが、掲句が面白いのは、「うそぶく」が、この五つのどれを当て嵌めても、それなりに意味が成立してしまう、という点にある。さらにはその「うそぶく」相手が「天」である、ということも、句をより一層面白くしている。「木の芽時」はちょうど今頃の時期を指すが、死んでいたかのような木々が「芽」ぶいて復活の兆しを見せることを、ほとんどが廃車となっていたSL」が、一部観光用として全国10か所で復活営業していることに掛けているのは間違いがない。「うそぶく」「SL」の汽笛は、「おっとどっこい、したたかに生きていますよ」、という「天」へのアッピールなのだ。那須淳男には他に/電球を捩りてともす夜の薄暑/紐ひけば汽笛ふきだす春はじめ/水かへて秋の金魚となりにけり/ドーナツの穴の歪みも春めける/枯蓮折れて水面の雲を刺す/ビー玉を沈め金魚をよろこばす/寝酒していのちの炎つなぎけり/冬帝の剣とも見えて二日月/など。

「倖せ一つひとつ違ふ」、本当にそうだなあ、と思う。「冬日の窓」は必ずしも春や秋の窓のような華やかさはないけれど、その内側にいる人にとっては、日向ぼこほどの温みをくれるので、それだけで「ありがたい」と思える「窓」である。「倖せ」という漢字には、「生まれてきて良かった」、 「ずっとこのままでいたい」と思えること、という意味があり、大それた成功や贅沢ではなく、ささやかな、ちょっとしたことに、『少女パレアナ』のように喜び、感謝できる、そういう心を持っていることこそが、「倖せ」なのだという。多くを望まない、そのような心の持ち主は、おそらく何があっても「しあわせ」の種を見つける天才だから、一生「倖せ」から見捨てられることは無いに違いない。しかし人は十人十色。「倖せ一つひとつ違ふ」とあるように、それぞれが「倖せ」と感じるものは、みな「違ふ」。つまり比べられないということ。自分にとっての「せ」が、必ずしも他の人の「せ」ではない、ということを知れば、独り暮らしで身寄りがないから、病気だから、貧乏だから不幸とか、金持ちで有名人だから幸せとか、勝手に人の幸不幸をあげつらうお節介も無くなるのではないだろうか。中山玄彦には他に/睡蓮のつめたき水に妻が立つ/赤ん坊に一生が待つ夕桜/蘆青し十五の記憶疾走す/唐辛子いくさ無き世のをみな美し/山眠る鮭の記憶の累々と/十一月遠きひかりを馬歩む/夏館霧に漂ひはじめたる/釘抜の愚直を愛す雲の峰/老人が石屋を覗く立葵/など。

「たけのこをゆでる」ことと「夜の街」という、およそ縁遠い二者が「鏡」であるとは、両者が「鏡像」関係にある、ということなのだろうか。鏡像関係とは、「興味や関心、大きな目標は一致しているが、態度や方法が異る」関係のことである。「たけのこをゆでる」ことと「夜の街」は、明らかに「態度や方法が異なる」が、ではどういう点で両者は「興味や関心、大きな目標は一致している」といえるだろうか。「たけのこをゆでる」ことは、旬の味覚で人の舌をいっとき喜ばせる、それが「目標」である。では「夜の街」の「目標」は何だろうか。仕事で疲れた人の凝った心を開放、解放し、明日の英気を養う、それが「目標」だろう。どちらも「方法」こそ違え、生気、生命力を回復させる、という「目標」では一致している。「たけのこをゆでる」ことと「夜の街」は、表面だけを見れば、まるで異質で対極的な関係だが、その「目標」においては、決してかけ離れてはいないのだ。人はつい表面的な「ちがい」にばかり目を止め、「同じ」を見いだそうとしない。異質な二者が分断するばかりの世界で、今一番必要とされるのが、この「同じ」を見つける能力、詩人の洞察力なのかもしれない。中山宙虫には他に/さえずりの山頂やがてくる沸点/春の雨日々方舟を待つベンチ/浜木綿や僕の背びれが打ちあがる/負け癖のついた花火に寝違える/やさしさを土に求めている九月/哀歌さえ手拍子がくる星月夜/夢に雨降りこみ葱を刻む音/紅葉の村を無菌にする夕日/など。

「鍬かつぎ踊の灯へと帰りゆく」、ということは盆踊りの行われる夜闇の降りるまで野良仕事をしていて、家は盆踊り会場の向こうにあるので、家には帰らず、そのまま盆踊りを見に行った、ということなのだろうか。そこで家族と合流し、屋台も出ているだろうから、腹ごしらえもそこで済ませる、そうあらかじめ家族と申し合わせていたのかもしれない。また旧友と逢うのもこの時を逃しては無い、そう思って野良着のまま、盆踊り会場へと気持ちが逸ったのかもしれない。盆踊りのころは夏野菜の収穫もそろそろ終わり、秋冬野菜の種まきや苗づくりの準備に入る時期。採り残したものを抜き去り、土を耕し、2週間後の種まきを見込んで、緑肥など肥料を施す時期でもある。いつもなら家族の誰かに手伝ってもらうが、年に一度の盆踊り。今日だけは家族を頼まず、自分独りで、どうしてもやらねばならない野良仕事をこなし、帰りが思いのほか遅くなったので、盆踊り会場へ直行したのだろう。盆踊りだからといって休めない、命相手の農夫の時間のやりくり、それが見事に捉えられた句である。中山世一には他に/投げ出せる足に涼しき鞍馬石/真中の折れたる秋の簾かな/時の来て朴と涼しき別れかな/立ちながら流れてきたるあやめ草/切干にまぶしき山の旭かな/金星の強き光や蒸鰈/七夕の笹立ててゆく艀かな/さへづりの奥千本となりにけり/など。

「定年きらきらす」から、作者にとって「定年」が、待ちに待ったものであることが伝わってくる。「石楠花を咲かせ」とあるので、庭づくりが「定年」になったら、存分にしたかったことの一つなのだろう。「石楠花」は高山など涼しいところに自生する木。暑さに弱く、夏場は朝晩の水やり、寒冷紗による日除けなど、特にマメな管理が求められる。また花芽が夏に形成されるので、翌年も咲かせようと思えば、夏場の花殻摘みも欠かせない。蕾を食べる虫もいるから、その駆除も必要で、もちろん花後の肥料も欠かせない。在職中は朝出掛けたら夜帰る毎日。休日があるとはいえ、十分に手入れが行き届かず、不本意な花しか咲かせられなかったのかもしれない。ようやく思うような花が「咲かせ」られた、それもこれも「定年」のおかげ。その喜びが素直に伝わってくる句である。中山和子には他に/正月の貌してショルダーバッグの犬/干しものをずらして御慶申しけり/一片の雲置く卯波離陸せり/春宵のスマホより鳴るファンファーレ/ポインセチア甘さ控へ目なんて嫌/紫陽花を貰ひに来ると言つたきり/万歩計のために歩いてねこじやらし/など。

「砦(とりで)」とは、「外敵の攻撃を防ぐための要塞」のこと。今その「ことば」が、急激に危機に瀕している。SNSやLINEが主なコミュニケーション手段となった今、若者たちが日常的に使う「ことば」が、わずか200語程度まで減っているというのだ。彼らの語彙不足は学校で、職場で、数多くの珍事件を引き起こしている。試験の問題も、英和辞典の解説も、上司の部下に対する指示も、すべて「日本語」で書かれ、「日本語」で話されているにもかかわらず、意味が全く通じないのだという。「9時10分前に来るように」を「8時50分に来るように」と意味変換できない、大卒20代の社員たちの日本語能力に、管理職が悩まされているというのだから、重症である。主な原因は読書不足による国語力、語彙力の無さ。これでは「外敵の攻撃」に太刀打ちなんかできない。日本は世界に名だたるいじめ王国、自殺王国だが、その一因は、対抗する「ことば」を持たない、「ことば」の貧困にあるのかもしれない。そう想わせてくれる句である。長山あやには他に/転ぶたび青空掴むスキーかな/さはさはと我が内に鳴る芒原/風洗ふ二月の木々の光かな/ほうほうと人の魂呼ぶ蛍の火/あかつきや凍雲光りつつ目覚め/天と地の約束のごと鳥帰る/わが魂をしきり呼ぶ夜の時鳥/吹き抜けし風のぬけがら枯れ尾花/など。

「博士課程」を「出た」ということは、学部卒業に4年乃至は6年を、大学院修士課程に2年を、「博士課程」に3年を費やしたということである。浪人をせず順調に「出て」も27歳、多くは30歳前後で社会に出ることになる。この日本では「博士」号を持っている人は240人に1人。しかし「職なき」とあるように、彼らの就職率は必ずしも高くない。大卒が97%、修士卒が75.8%、博士卒が68.4%で、学歴が高いほど低くなっている。なぜ「博士課程出」が敬遠されるのかというと、博士号を持っているというだけで、雇う側はずぶの素人に高い給料を払わなければならず、また研究してきた特定の分野には強いとはいえ、視野が狭く、即戦力にならないからだという。ただし開発や改良に関わる研究機関なら、実験、解析、データ収集が主な仕事なので、「博士課程」で磨いてきた、論理的思考力、批判的思考力、データ分析力、物事を相手にわかりやすく伝える伝達力など、「博士課程出」は大いに歓迎される。そうは言っても「博士課程出」の3人に1人は「高学歴難民」。焦ったり、悩んだからといって道が開ける訳じゃない。ここは腹をくくって、「果報は寝て待て」とばかり、「朝寝」を大いに貪っているというわけなのだ。中本真人には他に/払ひたる手の甲に蠅当りけり/泣いてゐる涙は描かず涅槃の図/なまはげの指の結婚指輪かな/閻王の憤怒の含み笑ひかな/遠足を離れて教師煙草吸ふ/それらしき穴のすべてが蟻地獄/受験子のペン先宙に何か書く/回送のバス涼しげに走り去る/など。

秋暑」と「箒草」の季重なり。季重なりがアウトかセーフかを見分けるには、季語の主役と脇役がはっきりしているかいないか、それが目安になる。季語には「強い季語」と「弱い季語」があり、「その季節以外にはほとんど見られない、季節限定のもの」、たとえば、桜の花や蕗の薹などは「強い季語」である。一方、月など「年中見られて季節感がさほどないもの」は「弱い季語」とされている。ただし、月は月でも「春の月」「夏の月」「冬の月」と「季節を限定」すれば、これはこれで「強い季語」になる。掲句の場合、季語の主従・強弱は明確。夏の季語「箒草」(コキア)は、春に発芽し、緑に繁る夏を経て、秋には鮮やかに紅葉し、「季節を跨いで存在する」。なので季語としては弱く脇役。「秋暑」は秋という「季節限定」、なのでこちらが主季語となる。おそらく「喪の家」の庭先に「箒草」があり、美しい紅葉を待たずに家人の誰かが亡くなった、そのことを示唆したくて「箒草」を敢えて出してきたのだろう。家族がその喪失に順応していく過程で、故人の記憶をどうしようもなく引きずっていく、その様を、夏の暑さを引きずる「秋暑」と響き合わせているのだ。中村祐子には他に/今朝秋の折鶴どこも尖りゐし/水馬ちりちり散つて水の張り/洗ひ髪振りて怒りをしづめをり/昨日より今日の日差しの節分草/陶の彩水に溶けいる秋はじめ/台風のあとの青空恐しき/しづけさの草のあはひや露涼し/総身の匂ふばかりに藤浄土/など。

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