KUYOMI

「合歓の花」は、羽毛や天瓜粉をはたく時のパフに似て、ほのぼのとした質感の、なんとも柔らかな花である。その「花ざかり」には、樹冠は一面薄桃色になり、その葉は夜になると閉じるので、そこから美智子上皇后が皇后時代に作詞した「ねむの木の子守歌」のような歌が生まれた。作者も子育て真っ最中の時には、この歌を唄って子供たちを寝かしつけていたのかもしれない。「身軽さは淋しき」は、子育てを終え、子供たちが巣立った後の感慨だろう。歌人河野裕子に「子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」という歌があるが、子育てはまさに滅私奉公、戦場そのもの、自分のために使える時間は殆ど無い。なりふり構わず無我夢中で育てているうちに、気が付いたら夫婦二人になっていた。その感慨が「身軽さは淋しき」なのだ。子育て真っ最中の時には、どんなに「身軽さ」に憧れたことだろう。でも実際「身軽さ」を手に入れてみると、すったもんだあったあの時間が、何ものにも代えがたい、充実した時間だったことが分かる。空の巣症候群にならないよう、今度は俳句という子育てに勤しもう、そんな決意が「花ざかり」から伝わってくる。三船熙子には他に/ひとりでは五月の海の青すぎる/水の音水にもどりて秋に入る/背泳ぎのまま秋風になってゆく/還暦をすぎ春風のよく見える/夜汽車から金木犀へ乗りかえる/制服の中は花冷えかも知れず/あじさいを旅の途中と思いけり/など。

作者はもしかしたら自分に厳しいタイプで、「自分を許さうかと思ふ」とあるので、何か自分を許せないことがあったのだろう。自分に厳しいと、つい他人にも厳しくなってしまいがち。それが往々にして人間関係をぎくしゃくさせ、精神を疲弊させ、心を病ませる。相田みつをの「人間だもの」の、完璧を求めない、弱さを肯定した大らかな「許し」の精神は、自分をも他者をも救い、心を軽くするので、ぐっと生き易くなる。人間は機械ではないし、機械だってときにエラーを起こす。ノーベル賞は、数え切れないほどの失敗の連続が辿り着く賞だが、失敗を重ねることで、少しずつ大事なこと、本質的なことが見えてきた結果でもある。言ってみれば、失敗こそが最高の教師なのだ。「ゼリー」は甘さもほどほどで、しかも柔らかい。舌の力だけで潰れるので、歯の無い赤ちゃんや年寄りの衰えた嚥下力をもってしても、呑みこみやすい。言ってみれば万人向きの食べ物である。食べる人を選ばず、ほっとした安らぎと活力を与える。「自分を許せる」人は、他人をも許すことで、まさに「ゼリー」のような人なのである。峯尾文世には他に/秋晴れが鏡のなかにしか見えぬ/敗荷のみな言ひ止しといふかたち/蝌蚪生れて月のさざなみ広げたる/別れきて余寒の林檎厚く剥く/部屋ぢゆうに春衣掲げて嫁がずよ/にがうりの受難の相をそぎ落す/水打ってさくらももこと同世代/など。

雪国、ことに豪雪地帯に住んだことのある人なら、大いに共感するのではないか。除雪車が夜っぴて除雪してくれるお陰で、余程の山国でない限り、今は家が埋もれることはない。昔は平屋なら屋根まですっぽり埋まるほど、町中でも雪が降った。道路は家の庇の高さになり、雪を削っては階段にし、ようやく玄関に辿り着いたものだ。そうなると当然ながら「雪原」は家の一階より高くなる。文字通り「雪原より低く枕を並べ寝る」羽目になるのだ。雪国は二重窓や雪囲いなど寒気対策が行き届いているし、雪の壁は断熱材、消音材の役目も果たす。「雪原より低く寝る」のは、思っている以上に深い眠りを誘うのである。源 鬼彦には他に/辛夷散る影といふもの空におき/炎昼を抜けきて鶏の首はねる/蕗の薹水の匂ひの少女来る/炎昼の死者ひつそりと爪のばす/人形のまなこが殖ゆる新雪里/鬼やんまときにきらりと風捌く/夜咄の濃き影に添ふ淡き影/遠吠の貼り付いてゐる冬の月/など。

思うように表現できず、筆が滞ることのもどかしさを「ボールペン」のせいにした句。くさくさした気分の切り替えと、脳へのエネルギー補給のため、ティーブレイクの「さくらもち」を手にしながら、話しかけたのだろう。中七を中六の字足らずにして、形の上でも「つまずき」感を出すよう工夫している。俳句はつくづくマイナス体験の生きる文芸、転んでもただでは起きない、したたかな文芸だと思わせてくれる。大小を問わず負の体験を「しめた!」と思えたら、その人は立派な俳人である。三富みきえには他に/ぽっくりの音が好きです路地の冬/ラ・フランス時々パリの方を見る/白寿なるヅカ・ガールにて寒夕焼/虞美人草猫がお辞儀をして通る/ひよん笛を吹いたでしようね山頭火/久女の忌豪奢な生活でしたのね/寅吉が喉をごろごろ濃あじさい/など。

「自鳴鐘」とは、時間が来ると自動的に音が鳴る、所謂「からくり時計」のこと。掲句の「自鳴鐘」は手が込んでいて、鳩時計の鳩の代わりに「侏儒」が出てきて「タクトを振る」らしいから、鐘の音ではなく、時間時間で異なる曲を奏でるタイプなのだろう。「自鳴鐘」が発明されたのは12世紀末のヨーロッパで、それまでは日時計、砂時計、水時計などで時を計っていた。日本へは室町時代に渡来し、江戸時代末期には田中久重が万年自鳴鐘を作り、近年復元されている。日本の暦の歴史は、まずは飛鳥時代に渡来した中国の暦に倣い、江戸初期までは「月」の満ち欠けで年月を数える「太陰暦」だった。その後誤差を改良した日本独自の暦が採用され、太陰太陽暦、そして明治初期には欧米に合わせグレゴリオ暦へと、1ヶ月ジャンプして、月から太陽を基準にした、より誤差の少ないものへと変わってきた。十五夜は漫然と満月を愛でがちだが、掲句の作者のように、日本の暦の変遷、また日本人の手先の器用さなどに思いを馳せることで、文字通り「良夜」となる、そんな気がする。三苫知夫には他に/打楽器になるまで餅を干し上ぐる/昭和の日曇り時々背が痒し/朝刊は鋼の音す初茜/灯の高炉二基星合の空焦がす/腰折れの釘なだめ打つ神無月/青春の書を捨て切れず冬に入る/鮟鱇の天下御免とぶら下がる/など。

作者の他の句も見ると、田丸雅智提唱のショートショートの作り方のように、言葉をランダムにピックアップし、それをつないで、まずは①不思議な言葉を作る②不思議な言葉から想像を広げていく③想像したことを短い物語にまとめる、そうやって「不思議な物語」を生み出す、どうもそんな手法の句の作り方に見える。「人魚かと問いつめられて」には、モチーフとしてアンデルセン童話『人魚姫』が下敷にあるだろう。人魚姫は人間になる代わりに声を失う。作者も「花の」宴の「闇」の中で、もしかしたらかなり目立つほど寡黙、無口だったのかもしれない。職場の花見に参加してはみたものの、元よりお喋りは苦手、はしゃぐタイプと言うより、どちらかと言うと控え目な聞き役タイプ。それに気づいた誰かが、「君、大人しいね」などと話しかけたのだろう。「問いつめられて」とあるので、酒の勢いもあってかなりしつこく絡まれたのかもしれない。それを作者なりにアレンジして、現実とは別次元の詩に昇華してみせた。水月りのには他に/失いし片足拾う春の海/凍るケータイ 見つかりません私の首/墓裏に春の魚を置いてくる/雪溶けや未生の我とすれ違う/梅雨入りの郵便箱にトゥシューズ/乳房ふたつまあるくはじけ秋蛍/赤い橋渡れずにいて蜆汁/菫咲く子宮の一番ちかい場所/など。

「冬菜のような涙」とはどんな涙だろう。人生の晩年=体力も気力も下降線をたどる「冬」。何もかも枯れ果てた中で、「冬菜」は厳しい冬を乗り越えるための、大切な栄養源である。人の手を借りず、自分で何もかもできていた春・夏・秋には出なかった涙、それが「冬菜のような涙」なのかもしれない。「冬菜」は甘い。植物は寒さから身を守るために、糖分を蓄える性質があるからだ。子に甘えさせてもらう親の感謝の涙でもあるし、「すまないなあ」と言われた子の側の、介護の気力を奮い立たせてくれる、栄養源としての甘い涙、その両方のような気がする。三井絹枝には他に/小春日が流れてきます汲んでおこう/月光と降る羽衣よわたしはだか/蚊に刺され小さな水黽(あめんぼ)できました/泪のよう大切にされ糸とんぼ/諦めのひゅう葡萄の木の匂う/この川や夜の牡丹雪釣れます/蝶老ゆるようすべらかな抱擁/など。

季語「三月十日」は、終戦の五ヶ月前、アメリカ軍のB‐29爆撃機が300機以上飛来して、午前0時8分、深川を皮切りに焼夷爆弾を投下、おりからの強風にたちまち燃え広がり、死者約10万人、被災者約100万人にのぼる、かの東京大空襲があった日である。多くの人の運命が、この日を境に否応なく狂わされた。「東京大空襲忌」とも言われ、毎年この日には、墨田区にある東京都慰霊堂で、遺族、関係者を招いての合同慰霊祭が行われ、ニュースにもなるので知っている人も多いだろう。『方丈記』を読むと、著者・鴨長明が「無常」を説いた背景に、自身も火事や竜巻、飢饉や地震、政変など、幾多の自然災害や人災に見舞われてきたことが記されている。その結果、彼は庵を結んで隠棲し、心のおもむくまま「したいことをし、したくないことはしない」という、趣味三昧の数寄の生活に入った。空襲も人の無力さ、命の儚さを痛感する経験である。長明の数寄の遁世に憧れてはいるが、作者の今の事情はそれを許さない。そのことの忸怩たる思いが、「方丈記は閉じてある」に籠められている。三井重子には他に/手拭が夏の頭で生きており/日の丸は雪にまみれて窓秋忌/紙魚の死のところどころに古寺巡礼/はくれん錆びてクイーンエリザベス/花びらと波とそんなに違わない/はんざきと同じ高さで流される/グァム島へ煙となって帆走す/など。

「海馬」はご存知、記憶を司るところ。ギリシャ神話の海・泉・地震・馬を司る神ポセイドン(ローマ神話ではネプチューン)が乗る海馬の前肢に似ていることから、そう名付けられた。作者は、実は「空」にも「海馬」がいるのだという。なぜ「海」の神なのに「空」が出て来るかといえば、「空」にはネプチューンと呼ばれる「海王星」があるからだろう。「海王星」は太陽系の一番端っこにありながら、質量は地球の17倍以上の巨大な「青い」星である。そのことも、「空」を連想させたのかもしれない。ポセイドンは時に荒ぶる神となる。彼の乗る「海馬」が「口を開ける」ときは、何か良からぬことが起きる徴。「花ふぶき」はそれの前触れ、短い花の命を散らす「花に嵐」の嵐が、もうそこまで来ているのだ。倫 アツコには他に/いずれ転生白萩が地を撫でる/わっと毛虫背後のカフカ狼狽える/襖絵の蓮の実傾ぐ没日光/菜の花の欠伸見つけた鬼瓦/寡婦の膳時々は飛ぶ冬の蝿/婚儀あり全マリーゴールドヘ門ひらく/うりこひめ空へ勇魚が潮を吹く/など。

ともすればマイナスに捉えられがちな「独り」という状況を、この句は「明るい」とプラスに捉えている。そこが俳人の、俳人たる所以。俳人は臍曲がりだから、世間と同じ価値観や反応には、金輪際迎合しない。意地でも断固抵抗し、同調圧力に流されることも、屈することもない。大勢順応型の人間は、はっきり言ってそうするだけの精神力に欠けるから、俳句には不向きなのだ。創作行為は、他の誰にも似ないアイデアや観点を見つける、「オリジナリティ」が命。煎じ詰めれば「天上天下唯我独尊」の、限りなく孤独な行為である。他者に迎合し、孤独を惧れていては、創作なんかできるものではない。「花は盛りに、月はくまなきものを見るものかは」。「花」は満開を、「月」は満月を、それのみを愛でるものだろうか。いやそうではない。咲きかけの花や、散っていく花、欠けた月も、見えない月も、それなりに趣きや風情がある。と、かの『徒然草』で兼好も言っているではないか。作者も、満開の花より「花吹雪」の盛大に散る様を、「こんな明るい」と捉えている。なんと頼もしい俳人魂の発露ではないか!三田陽子には他に/夏が好き船べりに倚る危ふさも/枯れ果にふとかはせみの碧があり/白鳥を捕へて重き双眼鏡/羽衣を隠したあたり煤払ひ/銀杏降る私を乗せた乳母車/ヘルメット脱ぎ女なり春一番/世界遺産恋人たちを容れて春/スキップの子に惜しみなく銀杏降る/など。

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